多様化と選択

「世界は多様化する」と唱えられたとおり、今の世の中は様々なものが入り乱れて提供されています。

例えば、昔の通信手段と言えば電話と郵便があって、その次は電報と急に敷居が高くなります。

ところが今や電話一つとっても固定電話やスマートホン、LINEにIP電話にミーティングツールなど。もとは電話とインターネットだとしても、そこにつながるための手段が数え切れないほどあります。

またそれぞれの敷居はそこそこ高くて、いったんある方法で電話をすることに落ち着いたら、なかなか他の方法に移ることができません。特に電話は相手がありますから、相手と同期を取って手段を変更するのはさらに面倒になります。

以前なら古い方法がコスト面や使い勝手の点で淘汰されていき、自然とデファクトスタンダードというものが残って行くのですが、最近は手段が多すぎて優劣を決める要因がたくさんあり過ぎて、相互の比較さえ困難になってしまいました。

これは電話に限らず、テレビの視聴方法だったり。通販の購入経路だったり、宿泊予約方法だったり、切符の予約システムだったり、それぞれに多くのバリエーションがあってどれが良いのかいちいち迷っている時間がありません。

その結果、同じような機能を持ったサービスが溢れかえって、もはや優劣さえもつけられない状態になっていて、その結果本来淘汰される経済的に優位性がないものも、ダラダラと継続してしまうという事態になっています。

自由経済は比較によってより優れたものが選別されていくことが必要ですが、ここまであらゆる分野で多様化が進んでしまうと、人々の選別する気概がなくなって方法の優劣などどうでも良くなっているのではないでしょうか?

多くの選択肢があることは幸せに結びつかないという説もありますから、何らかの規制をかけて、選択の幅は残しつつもう少し社会をシンプルにしていくことが必要です。

このままでは世界中がゴミ屋敷になってしまうかもしれません。