テクノロジー軽視の日本

日本のテクノロジー関連の貿易収支が、数十兆円いや数百兆円の赤字だというニュースがあります。

日本がいくら自動車などの製品を一生懸命作って輸出しても、USの巨大IT企業に支払う利用料が巨額で、トランプ氏が言っているほどUSの赤字は厳しくないのです。

スマートホンがアップルとグーグル、パソコンがマイクロソフトと、誰でも容易にUSに貢いで事に気づきます。

自動車のような最終工業製品なら、それを買わない人は貢がないわけですが、スマートホンやパソコンのOSとなると、産業だけでなく普段の生活からビッタリ沼にはまり込んでいますから、否応なしにUSに貢まくっているということでしょう。

それを受けて、よくなぜ日本がテクノロジーの開発でUSに負けているのかという疑問が出てきて、やれ理系をもっと増やせなどという方向に議論が向きがちですが、おそらく理系の優越などはそれほど影響せず、投資の考え方や政治的戦略などが決定的に違うことが影響しているのだと思います。

とくに最近の企業経営は株主重視が顕著で、たかが数年株を保有するような株主にへつらうために、長年ともに歩む従業員の給与を低く抑え、その結果従業員は転職を繰り返し、企業の業績は頭打ちになってしまうのです。

要するに日本では、USのような投資を短期で繰り返して成長していくという方法論は向いておらず、長く丁寧に仲間と一緒に育てていくという方法論が向いているのでしょう。

逆にUSの人を見ていると、「長く丁寧に」がいかにも相応しくないわけで、一発逆転を狙う方が性分にあっているわけです。

90年代は株主優先、経営者優遇を打ち出して、良い株主と良い経営者を集めると企業は成長すると考えましたが、それは日本には相応しくなかった愚策だったと反省して、日本的な企業経営、経営者も従業員もともに成長でいるような産業構造にしていかなければなりません。

電話による詐欺被害

相変わらずニュースでは警視庁や警察官を装った詐欺が頻発していると注意を促しています。

最近は老若男女を問わずスマホを持っている事が多いですから、スマホでできることは何でも詐欺のツールとして利用されてしまいます。

海外から電話をかけることが以前より簡便になっていますから、海外を拠点として犯罪組織によって片っ端から餌食を探し回っているようです。

かかってくる電話のもとになる情報は、いわゆる個人情報が不正な方法で抜き取られて、個人情報名簿として闇の世界に出回っているわけです。

犯罪の多重化というか、1つの犯罪によって新たな犯罪が連鎖的に繰り返されていくのは、恐ろしい世の中になったものです。

犯罪が効率的に増えていくのに合わせて、私達も効率的に対処できるようになっていかなければならないでしょう。

問題なのは、詐欺にあった人の金はその後善意のもとに利用されるわけではなく、犯罪組織の元手として更に高度な犯罪に使われてしまうということです。

詐欺にあわれた方は被害者ではありますが、その結果として犯罪が助長されている側面は否定できません。

以前なら留守番電話にメッセージを残すなどの手口が多かったのですが、最近はスマホの普及に伴ってLINEやZOOMなどの電話会議システムが利用されることが多いようです。

これらのシステムも何らかの方法で詐欺であることを検知して、被害者に対して警告を自動的に流すなどの対策をするべきでしょう。詐欺を助長している認識が足りないような気がします。

私達は協力し合って、あらゆる詐欺に対して耐性を持たなければなりません。

大阪万博2025が終了して

開幕前から揉め事が多かった大阪万博でしたが、終わってみたら十分な入場者と運営費が黒字になったことで、万博の成功を祝う言葉もたくさん飛び交うようになりました。

関西限定で盛り上がっていたという話もありますが、インバウンドの影響もあって宿泊を伴う国内力に対するハードルが上がっていますから、日帰り旅行限定になってしまうのは仕方がないことかもしれません。

ニュースでインタビューされている人の中には、20回以上訪れたという人も多く感じますが、最初からそのつもりで通期パスや季節パスを購入していれば、自ずと訪問回数は増えるでしょうから、総入場者数も少し差っ引いて考えないといけないかもしれません。

開催費用や開催テーマ、大屋根の建設コストや3億円トイレなど、最初のうちは無駄な税金の使い方の避難が集中していましたが、実際に利用してみるとそれぞれの価値を認識するようになって、不満が徐々に収まってきたようです。

半年の会期が終われば解体撤去される前提で作られたパビリオンなどは多いのですが、2割ぐらいは解体移転後再利用されるそうですから、それなりにサステイナブルを考慮しているのではないかと思います。

ただ、再利用というといかにも低コストで資源を大切にしているように感じますが、大屋根に関しては残すことがサステイナブルかどうか怪しいところです。

1970年の大阪万博でも、閉幕当初は保存前提の鉄鋼館に加えて、日本館と大屋根も残すはずでしたが、いざ保存して行くとメインテナンス費用が巨額で、数年の後に日本感と大屋根は撤去されることになりました。

今回の大屋根も、期間中のように大勢の人が上って歩き回るのなら存続の意味はあるのでしょうが、閑散とした記念公園にたまに散歩に来る人が利用するだけでは、維持できるでしょうか?

場所が不便なだけに、記念公園にしても余程高い入場料を取らなければ、大屋根のメインテナンスコストを賄う事は到底できないでしょう。

奇をてらったバカでかい木造建築が、ここにきて仇になってしまう可能性が高いです。

今回の大阪万博が、最後の最後に行政の長年の重荷になってしまわないように、入場料が黒字だったと浮かれていないで、今後の維持コストについても真剣に考えていただきたいものです。

AI閣僚にAI俳優

またAIの話になります。

AI閣僚やAI俳優と聞くとなんだか味気がないと感じる人も多いでしょう。なんせまだ実績がありませんから、その良さを判断する材料がありません。

1年か2年ぐらいの試行期間は必要だと思いますが、AIが代わりになったときのメリットとデメリットが列挙されるようになると、その評判がまた新たな評判を読んで、人気俳優が一流の仲間入するときと同じ様に、世間のAIに対する定評が近いうちに形作られるかもしれません。

政治家にしても芸能人にしても人間には良いところと悪いところがありますから、これまでも散々人間の汚いところや自分勝手なところを露呈して失脚してきた有名人は、枚挙にいとまがありません。

自動運転でもそうですが、AIは人間の平均値を狙っても評価されず、最高のレベルの人間と同等であることが目標となります。

多少人間の仕事の代わりができるようになったとしても、常にあるレベル以上の人間を上回らなければなりませんから、技術的に難しいことであるのは確かでしょう。

しかし、一旦優秀な人間のレベルに達してしまえば、優秀以下の人間には用がなくなってしまいます。これは恐ろしいことです。

特定の技能だけがAIに置き換わるだけなら良いですが、仕事で使う人間の能力にはそれほどバリエーションがあるわけではありません。

AIに置き換えられる職業をリストアップするより、AIがでは絶対に置き換えられない職業を選ぶ方が簡単かもしれません。

人々がまだAIの全部の可能性に気づいていないうちに、AIでに絶対できないスキルを獲得しておく必要があるかもしれません。

AIの文章力

最近、時間に余裕があるときは、仕事でメールを出すときにAIで添削してから送信するようにしています。

大した量でもないメールでも、数か所の誤字や表現の曖昧さを指摘されます。私がそれだけ普段、いい加減な文章を書いているということなのでしょう。(反省!)

一旦書いてしまうと思い込みがあるのでしょう、読み返してみても欠陥に気づくことはほとんどありません。AIでに指摘されてから読み返すと、確かにおっしゃるとおりですと、修正することが多々あります。

昔、青春文庫で過去の名作を読んでいたとき、太宰治とか芥川竜之介の文章の見事さに感心したことがありました。

どこから見ても欠点のない日本語で、さらにその中に文章の旨味と言いましょうか、独特の言い回しやニュアンスが光っていて、作家はすごい才能がないとなれないと惚れ惚れしながら読みふけったことがあります。

新聞や雑誌の原稿の校正などにもAIは最適なのでしょう。また簡潔にまとめたり、少し冗長にしたり、はたまた方言を使ったり、AIでは変幻自在に日本語を駆使して文章を破綻なく変換してくれます。

ただ、ある文章を入力して、「もっと面白くして」とか「ジョークを付け加えて」などというリクエストをしても、おもしろくない文章が返ってくることが多いです。

指示の仕方に問題があるのかもしれませんが、論理的に破綻がない文章を作るより、面白い文章を作るほうが難しいのかもしれません。

確かに面白さというのは普遍的ではなく、受け取る人や環境、また時代によって大きく変化します。またブラックジョーク的なものは、過去では許されても今はハラスメントになってしまうことも多いかもしれません。

そう考えると、AIが一から文章作品を創造するためには、もう一歩の進化が必要なのでしょう。

しかし、あまりAIが創造的になってしまうと、人間が面白いと感じる面白さを飛び越えてAIにしか分からないジョークを作り出して、人間の文化を超越した別の世界を築く可能性があるかもしれません。(あ~恐ろしい!)