欠陥が許される社会

日本の製品が世界を席巻したいた70年代後半から80年代にかけて、日本製の製品の品質が高いだけでなく、製品自体から説明書に至るまで、いっさいの妥協を許しませんでした。

仕様や動作にゆるぎがなかったばかりか、説明書には余すことなくすべて正確に動作や使用方法が記載されていました。

当時、USで売られているUS製はというと、品質が悪いことはいうに及ばず、製品の箱に書かれている機能が説明書に書かれていない、書かれていてもその通りに動作しないことが多々ありました。

要するに製品が完成していないのです。

普通なら出荷前の検査や認証を行う際に何処かで気づくはずですが、そもそもそのようなチェックをやっていなかったのでしょう。

最終検査員はお客様です。検査報告書のことを「苦情」と言います。

企業の経営者も、細かいことは別に厭わず現状の売上の数字を見つめるばかりで、今の製品の欠陥が売上に響くのは自分が経営者をやめてからだということなのでしょう。

そのようなことを繰り返しているうちに、US製というだけで欠陥商品という認識が当たり前になっていったのです。

今の日本製はどうでしょうか? 80年代の日本人気質と言われた完璧な製品からは、かなり遠ざかっているような気がします。

確かに国際分業が進んで正真正銘の日本製は絶滅寸前ですし、かつての日本製の品質を知らない世代も増えてきているのだと思います。

かつては日本品質は完璧主義過ぎて無駄が多いと揶揄されましたが、現在の製品は良くて80%ぐらいの完成度、ほとんどは70%程度ではないでしょうか?

良いものを長く愛用するという風潮は皆無で、適当なものを使い捨てにするのが当然になってしまえば、完璧な製品は必要ないのかもしれません。

USに毒されていると言ってしまっても過言ではありません。

もうすでに遅いような気もしますが、SDGsの一環としてもう一度考えてみるのも必要なのではないでしょうか?

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