AI社長の可能性

どこかの国で賄賂が蔓延っているのを、AIを閣僚として採用して是正しようとする試みが報道されましたが、それと同時に進行しているのが企業の社長業としてのAIをの採用があります。

政治家も社長も権力を駆使して統治する点においては、ほとんど同じ業種と言えましょう。AI閣僚が成り立つのなら、AI閣僚が社長も十分機能しそうですので、これらの試みが今後ののように進展していくかが見ものです。

これまでは従業員の仕事を奪おうとしてAIの採用を進めてきましたが、社長の仕事まで奪われるとは予想をしていなかったのかもしれません。

しかし、社長や閣僚は権威を無駄にあるいは私的に使用する誘惑に駆られますから、冷静なAIが一番適している分野だったのかもしれません。

AIにもいろいろな問題が指摘されていて、たまに勘違いをする程度なら些細なことで済ませられますが、社長や閣僚の判断ともなると深刻な問題を引き起こすこともあるでしょう。

自動運転でも話題になっていますが、AIが操縦する自動車と人間が操縦する自動車のどちらが確率的に安全な運転ができるのかという比較なら、いつかの時点でAIが平均的な人間に勝るような気がしますが、

しかし、人間の能力にはばらつきがありますから、なかなか素直にAIに対して敗北を認める経営者や政治家は出てこないだろうと思います。

最近は将棋の中継でAIによる形勢判断が表示されますが、その数値が正しいかどうかが人間には簡単に判断できないことが多いです。プロの棋士でも読み切れない手を読んでいるとしたら、政治や経営判断でも人間以上の結果を残すことが可能でしょう。

しかし、物事はやってみないと分からないことが多いですから、AIとが出した判断が正しかったかどうかは明確には判りません。AIと権力者の間で覇権争いが起こるかもしれません。

人類はAIの良いとこどりをして、うまく共生することができるでしょうか

世界は良識でできている

「良識って何?」と聞かれたら答えに窮しますが、あまり深い意味はありません。

「常識」でも「善意」でも良いのですが、それなら「非常識」や「悪意」と比較されそうなので、とりあえず今回は良識と言っておきます。

最近日本に限らずとんでもないことを言い出す人が目立つようになっていて、特に目立つのが政治の世界です。

某大統領とか某知事とか某市長と言ったほうが分かりやすいかもしれません。

以前なら恥ずかしくて言えないような言動を、堂々と当然のことのように言い切ってしまう人が目立っています。

それだけ目立つ人が目立つことを言うから目立つのですが、ある程度の権力を持つ立場になると、そう簡単に対抗できなくなってしまって、これまでの世界は良識で保っていたことを知らされるわけです。

これは何も政治家だけの話ではなくて、普通に街なかを歩いている人や通勤電車の乗客にも似たような行動を起こす人がいるようです。

昔なら日本では争いを出来るだけ避ける傾向がありましたから、それほど問題にならなかっただけかもしれませんが、最近は我慢するより争いで論破すればよいという風潮があるのか、法律や裁判で解決しようとすることが増えたように思います。

ところが裁判は決して良識ある「遠山の金さん」が取り仕切るわけではなくて、あくまで法律に準じて判断される訳です。

裁判は裁判官や裁判員がじっくり時間をかけて審議しますから、正しい結論が導かれることを期待してしまいますが、それはあくまで法律が完璧だった場合に可能になるわけです。

法律は国会で作られるわけですから、ご存知のとおりそれ程真剣に法律を作っている訳ではありません。

法律の抜け穴というように、昔から脱税や詐欺を働く輩は法のスキマを突いては悪事を働いていたのですが、現代は良識の欠如した政治家に法律のスキマを利用されるようになってきたということでしょう。

人類はAIに頼らなければ、もはや良識を取り戻すことができないのかもしれません。

“1150-550=500″はアバウトすぎる!

All Aboutニュースに「そんな裏技のような計算を!?」とにかく硬貨を減らしたい日本人の「お釣り文化」に外国人の反応は?」という記事が掲載されています。

日本人のお釣りの計算が速いことに、外国人が驚いているというお話です。

例えば、550円の支払いに際して客側が1150円を差し出した目的を店員は瞬時に察知し、きっちり500円玉をお釣りとして渡します。この一瞬のやりとりに、日本人の計算力が垣間見えます。 

若干の違和感が、、、

本当に1150円を出したとしたら、お釣りは600円でなければ客が損をします。(All Aboutと断っているのですから、アバウトなのでしょう。)

少し前なら、日本人は小学校で散々計算ドリルで鍛えられていると日本人固有の自己満足で終わっていた事でしょう。

しかし、最近はどこでも支払いは機械が担当することが多いですから、このような人手による対応はあまり見なくなってしまいました。

そもそも外国ではお釣りの小銭を減らしたいがために、550円の商品に1000円札以外のお金を差し出すような面倒なことはしません。

ですから、550円に対して1050円を出したとしても、50円は余分だから最初に突き返してから、商品金額にお釣りを足していきながら合計が1000円になるまで足し算を続けます。

そうです外国人、特にUSの人は足し算しかできません。

こうなってくると、合理的なのがどちらなのかという議論が重要で、計算が得意かどいうかではないような気がしてきます。

日本人だけが計算が得意だと自慢気に語っていますが、USの人たちからして見れば、日本人は「合理的でないアホなのか?」と思っているのかもしれません。

今や世界中の人の考えがSNSを通じて駆け巡っていますから、この議論についてそのうち結論が出るのかもしれません。

それまではあまり日本人は頭が良いと早合点しない方が良いのかもしれません。

大阪万博リングの保存運動

2025年大阪万博の会期も残り1ヶ月を切り、最後の駆け込みで入場予約も取れない活況が続いております。

開催まで盛り上がりがまったく欠けていたのが嘘のように、開催後はうなぎのぼりに人気が高まり、パビリオンはいうに及ばず、最初は気持ち悪がられたミャクミャクグッズの売上でさえ急上昇しています。

連日20万人を超える入場者が詰め掛けたおかげで、並ばない万博だったはずが史上最長の行列が逆に名物になってしまいました。

1970年の大阪万博では、一日で最高83万人の入場があり、当時の新聞に徳島県民と同じ人口が狭い会場に溢れたと記載されていました。

今回の会場では20万人を超えてしまうと、人並みが多すぎてどこが行列なのかも分からなくなりますから、会場の規模的には1970年の万博ははるかに大きかったのでしょう。

ところで閉幕が迫ってきたこともあって、万博リングの保存運動が盛んになってきております。

今日の新聞では関西の大学が団結して、できるだけ多くのリング部分を保存することを要望したことを伝えております。

今でもモノレールから太陽の塔の写真を撮る人を見かける事がありますから、シンボルであるリングをできるだけ残そうという運動に理解を示す人も多いのではないでしょうか?

そもそも1970年の万博でも、太陽の塔が突き破った大屋根と日本館は保存される予定でした。

当初から保存予定の鉄鋼館は今でも残っていますが、大屋根と日本館は保存維持の費用が賄いきれなくなって、万博閉幕後数年で撤去が決まったと記憶しております。

今では大屋根のごく一部だけが切り取られてお祭り広場だった場所に置かれていますが、当時の圧倒的な存在感がまったくなくなってしまっていて、単なる標本としての意味しかなくなっているのが残念です。

その大屋根と今回のリングは、その建造物としての持つ意味はほとんど同じでしょう。

未来的な建造物を予感させる大屋根と、木造でSDGsに根ざそうとするリングは、どちらも万博の遺産として相応しいものです。

ただ、鉄でできた大屋根でさえ数年しか維持できなかったわけですから、木造のリングの維持費用が巨額になるいことは目に見えています。

是非、何分の一を保存するという議論をする際には、毎年の維持費用を誰が何の財源で維持するのかを明確に決めて、財源を確保してから結論を出していただきたいものです。

就活生の企業ランキングの是非

最近は新卒生の就職活動期間が曖昧になってきていて、年中就職活動期間とも言える状況になってきました。

本来、学生の就学に影響がないように就職活動期間が自律的に決められていましたが、青田買いの勢いが完全に優勢になってしまって、学生の方も就職第一、勉学は二の次になっているように思います。

よく新聞や就職関連雑誌に、今年の就職予定学生の人気企業ランキングが掲載されますが、どうして何も分からない学生に人気企業を聞くのでしょうか?

そもそも現役学生は就職に関してはまったくの未経験者であって、参考になる意見を聞くには適さないはず。

周りと一緒でいたら安心という世代ではないはずです。これが就職後すぐに転職する大きな理由ではないかと思っています。

就職して良い企業を知るには、就職したことがない未経験者に聞くべきではなく、就職経験者に聞くべきでしょう。

毎年のように就職人気ランキングが発表されるたびに、そのご時世で業績や評判がよい企業がトップに並びますが、就職する人にとって意味がある情報だとは思えません。

長く務めるつもりなら、。継続的に成長が見込める業界や、従業員を大切にする企業を重視するべきでしょう。

スマホを選ぶのと同じ感覚で選んでいるから、すぐに転職したくなるのです。

もう少し、人生の大切な分かれ道なのですから、真剣に考えて欲しいと思います。