たかられる日本

今、日本の大学院で中国人留学生が急増しています。

よくニュースで中国国内のブローカーが法外な(日本的には)費用を取って、日本への優先的な留学を斡旋しているという話がありますが、一部誇張されたものはあったとしても概ねそのとおりだと思います。

とにかく中国からの留学生が多いです。

たしかに日本も企業の勢いがあった80年代には、USへの留学生が大変多かったです。ボストンのMITでお土産を買おうとCoopを探していて、声をかけてくれたのは社会人留学生として日立から派遣されていた人でした。

その後バブル崩壊と主に、かつて大量の日本人留学生を派遣してきた企業群が貧乏になり、2000年ごろからはUSの大学に中国の留学生であふれるようになりました。

その流れが日本の大学院にも及んでいるということです。中国内の大学院で博士号を取るよりもパフォーマンスがよいのでしょう。

ですから日本人ファーストとまでは言わなくても良いですが、大学院運営の経費がどこから捻出されているかに基づいた費用の分担を適切に負担する仕組みは、大学院を世界に開いている以上厳格で公平なものにするべきでしょう。

もちろん中国からの留学生も日本が好きで、大学院で学んだ経験を活かして日本で貢献したいという人もいるかもしれません。それなら条券をつけて無料化すればよいわけで、少子化や日本人の学力を向上するために無償化をするということは、逆に国力を相対的に弱めることになるでしょう。

日本人は仕組みを作ることがとてもへたくそだと思います。ルールを作ってそれを守ることより、そのたびに人の善意や良心に頼った判断をすることを良しとする傾向があります。

日本が特殊であるゆえんですが、他のほとんどの国の人はそうは考えません。

すでにかなりの国力を奪われています。早急に対策を講じる必要があります。

急いては事を仕損じる

USの輸入関税で言った言わないの議論になっているようです。

そりゃあんなに早急に、USが世界中の国を相手に決めた話が、みんなが納得して理解していることなんてあり得ないでしょう。

そして力関係で押し切られるのです。

USが最後の力を振り絞って、力で相手を負かせられる最後であろうタイミングで取った手ですから、とんでもなく相手国に不利になるのは目に見えています。

しかしいつも不思議に思うのは、税金に関する話題は収入か支出のどちらか一方だけの話が盛り上がってしまって、収支を合わせるという感覚に乏しいことです。

例えば日本政府が交付金をばらまくと言った際に、そのメリットとデメリットが対比して討論されるべきなのに、その恩恵を受ける人とそうでない人がいがみ合うだけで、議論が熟す前に実行に移されてしまうことが多々あります。

USの輸入関税の場合はUSが増税するわけですから、その増収分はUSの国家の懐に入るわけです。最初の頃トランプ大統領はUS全国民の所得税をゼロにする事ができるなどと吹聴していましたが、一向にその気配はありません。

アメリカ・ファーストと入っているものの、このままではUS国民は置き去りにされて、国家権力だけが不法な収入にまみれて腐敗していくのは目に見えています。

しかも、その増税の原資は輸出している企業が大部分を負担するということですから、これは世界中の経済圏の企業がUSの政府に莫大な献金を渡すことと同じことです。

もうこれがまかり通ってそれに誰も疑問を呈さないとすれば、そこには関税や自由貿易は言うに及ばず、経済や法律や技術までを含めてそれらの存在意義を否定することになるでしょう。

目先の税率を足し算引き算で一喜一憂している場合ではありません。

産業革命以来の世界の秩序、産業、社会が根底から覆されようとしています。

タイパとものぐさは紙一重

最近の流行として「タイパ」を重視する傾向があるらしいですが、パフォーマンスを気にするのは別に最近に限ったことではありません。

価格に対する満足度としてコストパフォーマンスがよく使われますが、それが時間に変わっっただけです。

しかし、時間を気にするということは、現代人は時間が足りないという思いが強いということなのでしょうか?

よくスマートホンを使う時間が1日に平均5時間だとか6時間だとかいう数字が飛び交いますが、かなりの時間をスマートホンに費やしてしまう結果、残りの時間で出来るだけ手っ取り早くことを済ませないといけなくなったのでしょうか?

スマートホンを利用する時間が、実は最もタイパが悪いことになかなか気付けません!

昔の話で、エジソンがあれほどいろいろな発明をしたのは、面倒なことを機械んみやらせようとしたのがきっかけだったということですから、「ものぐさは発明の母」とはよく言ったものです。

日本人の労働生産性が世界最低水準であることが問題視されていますが、今ならスマートホンを利用する時間を1日数時間削るだけで、生産性が飛躍的に向上しそうです。

ところで、これほどタイパを気にする人が暮らす日本で、人がやりたがらない仕事は人手不足で社会の基盤が揺らいでいるというニュースも多くなりました

要するにタイパ良くと言いながら、好きなことしかしなくなっただけなのでしょう。これもインターネットやSNSによる思考の極端化の現れなのかもしれまん。

今はタイパが流行だと言っているだけで済んでいますが、タイパを求めすぎて社会が立ち行かなくならないことを願いたいものです。

ネット販売のダークパターン

NIKKEI.COMに「通販7割でダークパターン 定期購入欄に印、購入に会員登録必須」という記事が掲載されています。

インターネットを介した販売で、意図しないのに定期購入になっていたり、購入には会員登録が必要だたりという不本位な契約に結びつく仕組みが、通販サイトの7割で確認されたと言うことです。

契約者を騙そうとしているなら詐欺に近い行為になりますが、小さい文字でも条件が記載されていれば見なかった方が悪いという開き直りができます。

このような商法はインターネットに限らず、印刷された保険や銀行預金の案内でも、小さい文字で但し書きが添えられたものがたくさんあります。

おそらく今回7割にダークパターンがあったということですが、残りの3割はそもそも基本契約がダークであったり、ダークパターンの必要性や余地がないような商品だったのかもしれません。

これは何も今に始まったことではなくて、昔は市場の八百屋で「これはおまけだよ!」と言って誰にでもおまけをしていたり、「100円でいいよ!」と言ってももともと100円以下のものであったりすることはあったように思います。

それは商売の常套であって、それでお互いが気持ちよく買い物ができればそれで良いことなのでしょう。

ただ、インターネットでは相手が目の前にいないので、疑問があっても容易に尋ねることもできないですし、考え直して解約することも容易にできないところに問題があります。

解約ができない、会員から脱退できないというのは、かつての携帯電話会社や保険会社などではよくありましたが、これも実店舗では買うまで店員がつきまとうのと同じと言えば似たようなものかと。

要するに、商売というのは騙すギリギリの契約に持ち込もうとするのが常だと諦めて、小さい文字でも拡大してすべて読んで、納得した上でポッチッとするように心がけましょうということですね。(はい、心がけます。)

40度超えを競っている場合ではなくなった

数年前までは、日本で今年一番の暑さを都市ごとに競い合っていたような記憶があります。日本で一番暑いことが名物のような扱いでした。

しかし、今年の暑さはそんな遊んでいる場合ではなく、正に生死を分ける事態です。日本で一番暑い都市は、行くのを避けられることはあっても決して名物にはなりません。

しかもこれが世界中の北半球で同時に起こっていますから、地球温暖化は誰の目にも明白です。

確かに温暖化か寒冷化のどちらに傾くかはボートの揺れに似ていて、どちらにひっくり返るかは時の運のような説もありますから、毎年必ず気温が上がり続けるかどうかも定かではありません。

また二酸化炭素の排出量を規制してきましたが、その二酸化炭素排出量が燃焼時に少ないと言われてきた天然ガスが、今となっては算出時に大量のメタンを空中に放出していて、そちらのほうが二酸化炭素より地球温暖化効果が高いのではないかという説も出ていて、これは結局人類が文明の使用を諦める以外に対策はないのではないかと思えてきます。

それが無理なら人類は滅亡する!

なんか経済やお金が絡んでいると一向に解決しない問題のような気がしてきます。

恐竜が滅亡した理由を、人類が大隕石だと推測しているように、人類の滅亡の原因はお金への執着だったと未来の高等生物たちに推測されてしまうかもしれません。