車道の端で停車中とは?

最近、交通規則が変わった訳ではないのに解釈が厳密になって、これまでの常識が覆されることがあります。

横断歩道での徐行と歩行者がいる場合の停止は、長野県が遵守日本一というニュースとともに急に普及した法規であります。

まだまだ乱暴な交通がまかり通る地域では、「横断歩道は車道だ」という意識が強いですが、まともな地域では「横断歩道は歩道」という意識が芽生えております。(民度が高い低いで論じてよいかどうかは分かりませんが。)

最近は、自転車優先の色分けがされた車道で自動車が停車するときに、自転車エリアを空けて車通行エリア内で停車することが注目されています。どうやらパトカーがそのような停車の仕方を実践しているとのこと。

普段自転車を利用する側からすれば、自動車の後部ドアがいつ開くか不安でたまりませんが、どうも都会ではそのような習慣が徹底し始めているということのようです。

これは習慣ではなく交通法規ですから、徹底的に法規に罰則も含めて記載して、さらに国民に周知する義務が警察にあるわけと思いますが、警察からすれば法律に従うのは国民の義務だから警察に言われなくてもしなさいということなのでしょう。

このような人によって判断が異なる状況で実際に自転車で走行すると、この運転手は法規をどこまで実践しているのか、後部座席の同乗者は左側を自転車が走行する可能性を理解しているのかと考えてしまいます。

最近取ってつけたように自転車走行レーンが設けられていますが、ただ色を塗り分けただけで、それほど法律的にどう扱われるのか理解している人は私を含めて少ないと思います。

また道路状況によって、この道路に自転車レーンの設定自体に無理があるだろうという場合もあります。

このように人手で運転する場合でも様々な思惑が考えられる状況ですから、日本で自動運転車が走り出せるのはまだ先になることでしょう。

パビリオンの交通障害対応時の妙技

これぞその国や企業の姿勢を如実に表す、まさにパビリオンの展示を超越した表現でしょう!

8月14日に発生した大阪メトロ中央線の停電に伴う帰宅難民。特にお盆休暇中で16万人以上入場していたそうですから、影響も甚大です。

予定外に万博会場でオーバーナイトを経験されてしまった方々には、謹んでお疲れ様でしたと労いを申し上げます。

当初から公共交通機関の少さが危惧されていましたが、現実に起こってしまうとこれは仕方がない。ある一定の確率で起こってしまう日常のトラブルです。

しかし、そこで急遽来場者の窮地を救えるかどうかが、そのパビリオンの実力です。

普段人気があって行列ができていたとしても、緊急時に何ら対処できないか、来場者の側に立った対処ができるかは、そのパビリオンや関係者が本当に万博の趣旨を理解して全うできるかに関わってきます。

まだ一日たっただけなので本当の様子は伝わってきませんが、ニュースでオランダやドイツやポルトガルのパビリオンが帰宅できない来場者のことを考えて粋な計らいを行ったというのは、万博の展示以上のインパクトがあります。

またそれらの計らいが、政治的に安定した政府パビリオンによって提供されていたことに感銘を受けます。

やはり政治が全てだと!

伊東市長の卒業証書問題

学歴詐称が時々話題になりますが、それだけ学歴を偽ることに一定のメリットがあるのでしょう。

事実がどうなのかということを証明するために必要なことはそれほど多いはずはなく、双方了解の条件のもとに調査すれば自ずと解決するはずですが、市長の狡猾さもさることながら追求する議会側の稚拙さも極めつけでどっちもどっち、議会も市長も総入れ替えが妥当なところでしょう。

これだけ市政が滞っていて何事もないのなら、市議会も市長も不要ということになりますし、何事か問題があるならとっととかたを付けなければならないでしょう。

伊東市民の方々の杞憂をお察しします。

東洋大学はすでに除籍と宣言しているのですから、卒業証書が本物のはずありません。もし本物だとしたら本人が大学と除籍か卒業かで争うべきであり、その結論が出るまでは除籍を前提に市政を行うしかありません。

伊東市には気の毒ですが、まともな人材がいない中で市長選挙を行った結果、一番良い(市民がまともだと思った)と投票した人材が期待はずれだったわけです。

そこで、東洋大学を卒業していたという経歴がどのぐらい投票に影響したのかわかりませんが、いつまでも居座ることを選択して、不名誉より市長の椅子を死守する現市長に対抗する手段を持たない議会と、2つ同時に欠陥をさらけ出したことになリますが、これはどこの自治体でもありうるわけです。

そろそろ選挙制度や政治の世界も、改革が必要なのでしょう。旧態依然とした制度のほころびが目に余るようになりました。

まあ、USの大統領も好き放題やって議会はそれを阻止するすべを持っていませんから、どこの国も政治は旧態依然、現代社会でまともに機能するにはかなり常識のあるリーダーを選ばなくてはなりませんが、立候補者に常識がない人ばかりだったら選挙制度の限界です。

もうすこし社会は改善できないものでしょうか?

AIが置き換えるには社外取締役だけか?

またAIがの話題になりますが、考えてみれば世間のニュースでAIが登場するのは事態の重要さに比較して少なすぎると思います。

なんたってあと数年か数十年で、AIが人類の英知を超えるかもしれないと言われているのですから、宇宙人が攻めてきたのと同じぐらいの大騒ぎになっていてもいいのではないかと思います。

どうして大騒ぎをしないか?

おそらくAIにすでにを人類がコントロールできるものと思いこんでいるか、どこかの賢い人がAIを飼いならしてくれるとでも思っているのでしょう。

ライオンは飼いならせても、知能に関してはそううまくは行きません。

これまで人類はすべての動植物を飼いならして、いかにライオンやクマが力強くても、人類が発明した道具を駆使して駆逐してきました。

しかし、知恵に関しては対抗する道具、武器がないのです。

AIと知恵比べで勝つことができないのです。

それは将棋のように厳格なルールを設けてAIが不利なように仕向ければ勝てる可能性はありますが、そもそもAIとの知恵比べはもう戦争ですから、あまりルールに頼って勝ちに導くのは現実的ではありません。

最近、2038年にAIが人類の知恵を超えるとか予想されていますが、実際は50%〜60%ぐらいの人類はすでにAIの知恵に届いていないのではないかと感じます。

今回のニュースでは、企業のCEOが社外取締役をAIで置き換えようとしているのですが、それが成功すれば今度は株主がCEOをAIでですげ替えることでしょう。

そもそも、人間の欲やコネを中心に考える不合理な人類が、理詰めのAIにに勝てるわけがないのです。

次期総理大臣候補が、GeminiとChatGPTだったらあなたはどちらに投票しますか?

いやっ、投票するのは他のAIたちで、私達人類は既に投票権を失っているでしょう。

そろそろ真剣にAIの開発を規制する方法を、考えなければならない時期が来ていると思います。

Google AI検索のインパクト

最近インターネットで検索をすると、結果をまとめた文章が最初に表示されて、それを見るだけで期待した情報が網羅されていて事が済んでしまうことが多くなりました。

これまでなら、その後リストされた各サイトの中からそれらしいサイトを選び出し、順番にアクセスしていく必要がありましたから手間が省けます。

検索するのは必要な情報を知りたいからですから、用が済めばそれ以上サイトをめぐる理由はありません。

インターネットの利用がさらに便利になるので喜んでいいところですが、どうもサイトを運営している人からすればたまったものではないらしいです。

テレビ、新聞などの既存メディアを打ち負かしつつあるインターネットですが、お金儲けの仕組みはこれまでの媒体と同じ広告収入が主なわけです。ですからまずサイトのヒット数を稼いでその勢いで広告もクリックしてもらわなければお金になりません。

そこをAIが要約した文章を提供してサイトを訪問する人がいなくなれば、AIによる情報のタダ取りを指を加えて眺めているだけになってしまいます。

これはビジネスモデルの崩壊です。

だいたい傾向として、インターネットのサイトはただでさえ内容の薄い情報を、冗長に書いて量を膨らまそうとしますから、AIが要約したものが好まれるのも致し方がないところです。

またサイトの見栄えやSEOに工夫することが流行った時期もありましたが、そんなものにも価値がまったくなくなります。

AIに読み取られないようにパスワードで武装した会員制のサイトとか、会員だけに有料で情報を配信するようなサイト設計が必要になってしまうのでしょうか?

同じ広告が主体と言っても、新聞や雑誌は購入するというハードルがありますから、インターネットに公開している情報よりはAIに侵食されにくいかもしれませrん。

AIによって変わる世界がまた一つ増えてしまいました。