USの関税交渉

自動車に対するUSの輸入関税が、25%から15%に減額されたと言うニュースで、ホッとする産業界や経済界の反応がニュースに溢れています。

そもそもUSが発表する数字はどれもこれも怪しいものばかりで、25%が本気だったのかも怪しいところですが、各国も日本の数字をたたき台にして、さらに良い数字をひねり出す交渉を進めることでしょう。

何事も相対的にしか良し悪しを判断できないと見えて、日本ち同じように各国の政治家の手腕を評価する指標として、関税率は分りやすい評価となっているようです。

日本より関税が低くなったり減額率が高ければ、その国の政治家は日本より良いという尺度ができつつあります。政治家を世界各国と比較してできが良いか悪いかを判断できる格好の機会と言えます。

考えてみれば、トランプ大統領はUSが輸入関税を増やして国の税収が増えた分を、国民の所得税を減らすと言っていましたから、輸入関税分を製品価格に転嫁するするというのはおかしな話です。

アメリカ人の所得税をその他の企業が肩代わりする訳ですから、USにとってこれほどうまい話はありません。

関税分はアメリカの消費者が負担してこそ所得税減税に結びつくのであって、どうして輸出元の企業が負担することになるのでしょうか?

これは何もせずに国益を稼ぐ魔法です!

これを真似して理由のわからない関税スキームをひねり出す首脳が、他の国にも現れることがないように願いたいものです。

法律にまさるマナーと倫理

犯罪や事件があると、なになにと言う法律に違反しているから禁錮刑や罰金が示されるわけです。

なるほど法律に書かれていると、その罪の重さや罰則が誰の目にも明確になりますから、本人が納得するかどうかは別にして、世間的には明文化された法律によって客観的に罪を理解することができるのです。

ところが、法律だけではなかなか全ての人間の所業の良し悪しを判断できないものです。

法律で裁くまでもない些細なことや、法律の前に人間としてやってはいけないことなど、法律でカバーする範疇外の迷惑なことや事件は以外にたくさんあります。

そのような迷惑な行為に対して、やった本人は「法律のどこに書いてあるのか?」などと言って開き直るのですが、法律に書いていないことこそ基本中の基本、それが分からないのなら人間失格ということでしょう。

日本でマナーと言うと、西洋式のテーブルマナーや茶道華道での仕草のように、どちらかと言えば厳密で杓子定規に思えるようなものを思い浮かべますが、基本は他人を思いやる気持ち、自分が同じことをされたらどう感じるかを察することです。

ですから、どうしても日本ではマナーは普通以上の高度な作法と思いがちですが、普段の他人に対する配慮、気遣いが重要なのです。

そもそもマナーや倫理を親や学校から学機会がありません。だから古典の書物を読む必要があるのですが、最近は文学作品のカテゴリーが増えすぎていて、倫理感を養うような作品に出くわすのは至難の業です。

ニュースでは、日本の政治家が倫理観のない事件を頻繁に引き起こし、海外では倫理観は言うに及ばず、明文化した法律さえも無視して暴挙を振る舞う政治家が溢れかえっています。

21世紀が破壊と崩壊の時代だったという歴史を残さないためにも、倫理とマナーの意味を考え直す必要がありそうです。