「三人よれば文殊の知恵」は今は昔

そこら辺にいる3人が寄り合って相談すれば、何か良い知恵が思い浮かぶと言ったのは今は昔。現在は凡人が3人寄ったぐらいでは分からない程社会が複雑化しております。

そもそも今の現代に本当の凡人がいるのかさえ怪しいものであります。

かの国木田独歩が短編小説「非凡なる凡人」で表現したように、世の中には民衆を正しい道に引っ張る偉人や賢人と呼ばれる人は確かにごく少数必要であるけれども、実際社会を中枢となって動かしていくのは真面目な凡人が重要な役割を果たすのだということです。

今現在の周りを見て、国を統治するべき政治家に偉人や賢人は見当たらず、かと言って身の回り凡人がいるかと言えば、凡人というのはあまりにも悲惨な低レベルの国民しか見当たりません。

民衆のレベルを上げるのは大変な努力が必要であるけれども、レベルを下げるのは自然に任せておけばよいので簡単であるというのは正にそのとおりで、知らぬ間に日本も世界樹も無知無教養が当然の権利のように蔓延る惨状であります。

このようになっては三人どころか大勢が集まったところで、ろくな知恵は湧いてきません。だからこそ人工知能に頼らなければならなくなってしまうのです。

しかし、人工知能に任せるということは人間の叡智を放棄することに他ならないわけで、そんなことは誰も期待していないわけです。けれども現実にはその方向に進んでいる。

いま現実に、いま社会で起こっていること、科学技術がどのように影響を与えているのかを、全人類が自分の知能を使って考えるべきときが来ているのです。