大課長問題

朝日新聞に1月23日に掲載されていた「大課長問題」

課長以上のポジッションに抜擢されても、これまでの課長レベルの細かい指示しか出せない管理職が問題になっているそうです。

10年ほど前から問題視されているそうですが、考えてみればかなり以前からどこの組織にも該当する管理職はたくさんいたような気がします。そりゃ40年も前にもいたような気がします。

ただ、それを問題視するほど世間に人事管理についての理解がなかっただけです。

人事制度は偉い人は出世して給与が上がるという簡単な流れだけしかなく、実際にどのような職務がポジッションごとにあるのかを具体的に示せている職場は殆ど無いでしょう。

ですから、出世するようなそこそこできる人ならば、自分の周りを見回して必要な業務を察するのですが、それができないレベルの人が下手に出世すると、こちょこちょと忙しく末端の業務に口を出すことが管理職の仕事だと決め込むのでしょう。

最近、よく不祥事で社長や責任者の会見が行われることがありますが、ここにも大課長かと思うような社長が登場することが珍しくありません。

平社員から叩き上げの社長によくあるタイプで、いわゆるプロの経営者(これもかなり怪しい部族ですが)とは一線を画していて、ほとんど平課長かと見紛うような会見を見ると、不祥事による事態の重大さを理解できていないのだなと勘ぐってしまいます。

これは何も企業だけに限ったことではなく、政治家や公務員でも同じような状況ではないかと思います。

いわゆる帝王学というか、マネージメント学は日本では教わることはなく、そもそもそのような概念すらないのかもしれません。

一部の一代で企業を築いた社長ではそのようなことにはならないでしょうが、サラリーマンの場合はそれが社長であっても部長であっても、それほど立場にふさわしい人材で溢れていることはないでしょう。いわゆる「人手不足」ではなく「人材不足」。

もちろん社長になれば社長の顔になってくるとは言いますから、立場が人材を作ることも確かですが、それなりに時間もかかりますから、短期的な株価や利益を目指す現代の経営に置いては、経営者が育ちにくくなっているのかもしれません。

もし大課長があなたの上にもいるのなら、その方を育てられるのは部下のあなただけなのかもしれません。

2期目のトランプ大統領

トランプ氏が2期目の大統領就任とは、アメリカ合衆国も変わったものだなと思います。

1期目は偶然選挙に勝ってしまったということもありえますが、2期目ともなれば1期目がそれなりに評価された結果でしょうから、本物のアメリカ合衆国代表と言えるのではないかと思います。

そして、それがUSの代表者にふさわしいとすれば、USの現状はかなり怪しいものに見えてしまいます。

歴代最高齢で就任したとのことです。以前は日本の政治家は老いぼれのヨボヨボばかりだったので、USのは活力あふれる少しばかり若い大統領は新鮮に見えたものです。

そのUSのも歴代最高齢の大統領が就任したということですから、どの世界も人材不足なのでしょう。人手不足ではなく人材不足だということがどの国のどの分野でも起こっているのでしょう。

早速大量の大統領令にサインを始めたそうですが、地球温暖化に逆行する書面に真っ先にサインをするあたりは、これまでの対面を気にした外交からの決別を物語っています。

そもそも地球温暖化を避けるためには、気休めの石油資源の削減などの生やさしい対策ではなく、全産業を止めてしまうほどの策を一定期間講じなければならないのは目に見えています。

ですからトランプ大統領が、自分の資産で月や火星に移住できるぐらいの金持ちを集めて、彼らだけの世界を目指したとしても不思議ではありません。ノアの箱舟の建設が始まったということかもしれません。

日本では目先の貿易やエネルギー関連の話題としてトランプ大統領の動向を伺っていますが、もっと大きな視点で世界の動向を予想して、かつ大胆に行動をする必要があるのではないかと思います。

行き過ぎた多様化

US企業がこれまでの行き過ぎた多様化推進(DEI)を見直すというニュースが流れています。

LGBTQを始めとする多様化を推進する社会動向が、単なる宣伝文句になってしまって、実質的な効果に疑問が出てきているということでしょう。

女性の管理職への登用や大学入学者の中の女性率を高めるといった施策が、日本ではまだまだ不十分と見なされていてまだUSの動向を様子見する感じですが、遠からず同じような風潮が見られてくることでしょう。

多様化ならばこれまで障壁になっていた差別的な施策を取り除くことを進めるはずですが、それでは効果が目に見えてくるのに時間がかかってしまうので、重点的に施策を展開しなければならなくなって、結果として却って新たな差別を生んでしまっているというのが現状だったのかもしれません。

USの主だった企業がこぞってDEIの緩和に進んでいるのは、誰のためにもならないその弊害が無視できなくなっているのでしょう。

企業の管理者や大学の入学者に女性を増やそうといっても、適性や希望を無視して目標を立ち上げたところで誰の幸福にも結びつきません。

適材適所といえば簡単そうですが、誰が適材でどこが適所であるかも判断できない状況では、正解が何であるかも分かりません。

まずは適材と適所を見定めることから始める必要があると思います。

初任給引き上げ

2025年に入って急に初任給引き上げのニュースが相次いでいます。

三井住友銀行が30万円にしたかと思いと、ファーストリテイリングがそれを上回る33万円に引き上げたそうです。

物価の上昇に給与の上昇が追いつかないという、日銀が目指す貧困化のためのインフレが続いていましたから、それが改善されるという期待もあるでしょう。

しかし、これらの企業のように給与を上げる余裕がないところは、そうはいかずにそのうちに淘汰される事になりかねません。

健全な経済活動としては当然なのかもしれませんが、日本の社会は当然がまかり通ると成り立たないことがたくさんあります。

社会が必要としている技術や商品に、適切な価格を乗せられない業界がたくさんあります。

以前に比べて業界団体や組合が弱体化していますから、経済原理主導だけで押し通していくと、いつの間にか社会が成り立たなくなっているということになりかねません。

物事には一長一短が必ずあります。

長所だけに目を向けずに、短所をうまく抑えながら長所を伸ばすバランス感覚が、今の日本には欠けているような気がします。