OKストアの進撃

昨日はOKストアの関西初出店のニュースが、TVで盛んに報じられていました。

関東圏で人気のスーパーの関西進出は、地域間格差が昔に比べて減ってきたとは言うものの、文化や食生活に密着した食品スーパーにとってはハードルが高いようです。

私も単身赴任で横浜に住んでいたときには、最寄りのOKストアのストアを毎週利用していましたが、新鮮な商品が相対的に低価格で販売されていることを実感していましたので、関西でも充分に対抗できる競争力を持っているでしょう。

特売を設けないという売り方は、米国ではウォールマートが実践していて、「エブリディロープライス」が合言葉になっています。

広告を打たずにセール品もなく、しかしどれでもいつでも付近の店より安いということを売りにしています。

日本でもウォールマートの息が掛かっった西友が、最近までELPと称して同じ戦略を展開していましたが、米国ほど浸透していなかったようです。

実際に他店と比べて毎日安いと感じられるかが勝負になりそうです。

セール品に目がない関西人に、どこまでエブリディロープライスが刺さるか、これは見ものです。

定員割れの共立高校は債務超過の企業と同じ

最近は少子化に伴い、公立高校の定員割れが珍しくなくなってきています。

全員が高校教育を受けられることはよいことですが、実際定員割れしている高校の教育内容は高校レベルなのでしょうか?

近所にある私立大学で、定員割れになった年度から急激に学生の質が目に見えて落ちたことがありました。

そりゃ何も構わず入学を許可するのですから、一定のレベルに保つ方法がありません。私立の場合は教育の質やレベルの議論より、入学金や授業料を集めることのほうが重要でしょう。

社会に貢献する人材を育成するのが存在意義かもしれませんが、何より事業体として雇用を守らなければなりませんから。そして定員割れがひどくなれば破産して整理すればよいのです。

しかし公立高校は税金を投入しているわけですから破産はしません。私立の学校に対して公立学校は、営利目的で運営しているわけではありませんから、教育の質やレベルを無視して存在し続ける理由はありません。

これだけ定員割れが増えているのですから、一定のレベルの教育を施せない学校の統廃合をもっと進めるべきです。全国一律の評価基準を設けて、存在の意義が認められない学校の選別が必要です。

政治家の選挙では税金を減らす財源もないのに、受けを狙って減税中理を主張する候補者が多いですが、無駄な税金を減らすことにもっと注目をしてもらいたいものです。

スクレイピングで著作権違反

11月25日のニュースに、保育士向けの転職紹介サイトが、他社のサイトからスクレイピングによって大量のコメント欄の投稿を盗んでいたという記事がありました。

ご丁寧にクラウド上の業務日誌に詳細が記載されていたといいますから、犯罪と分かっていてやっているのは自明でしょう。

コメントならそもそも著作権で保護されないだろうとか、コピーライトマークがないサイトからしか取っていないとか、裁判になれば弁護士が入れ知恵しますから顛末は分かりませんが、日本人の法律を守る姿勢が怪しいのは確かです。

スクレイピングにとどまらず、インターネット上で情報があふれる昨今では、容易に文章や画像などをコピーすることができますから、技術的なハードルは下がるというよりないに等しいです。

そこでリテラシーとはマナーとかきれいごとで済まそうとしても、もとよりそれらのきれいな仕事のやり方は零細企業では推奨されておらず、効率を高めるためにはよそから盗んでくるのは褒められることはあっても怒られることはない。

自社で時間とお金をかけて一生懸命コメントを集めたところで、どうせ似たような内容しか集まりませんから、盗んだ方が簡単と思うのは当然かもしれません。コメントには価値がないと思っています。

ディジタルコピーに関しては、SDやDVDが普及しだした頃に議論の山がありましたが、小細工のような技術で逃げただけで、著作権についての議論はないままですから、リテラシー云々を今更問うても何も返ってこないでしょう。

今回のニュースは氷山の一角、やりたい放題のインターネットの世界が野放し状態です。

記憶力検査に大した意味はない

通勤電車に乗っていて定期テストの時期になると、電車の中で友達とテスト勉強に励む中高生を見かけることがあります。

もちろん時期にお構いなしに、勉強はそっちのけでスマホでゲームに耽っている中高生もいますが、一応受験校と言われているような中レベル以上の学校に通う生徒は、友達と問題を出し合ってお互いの理解度を確認し合ったりしています。

勉強に励んでいるのはとても良いことだと思いますが、友達と出し合っている問題があまりにも低次元です。

これは生徒が低次元なのではなくて、学校教育が低次元なのでしょうが、今更何戦争が西暦何年に始まっただとか、イオン化傾向を順番に並べる知識が必要でしょうか?

そんなのものは教科書やネットで調べれば良いのであって、もっと人間にしかできないことを磨くべきでしょう。

ましてやIT教育の必要性が叫ばれている昨今、日本人しか知らない歴史の年号や表にしたら済むような化学の記憶などが重要だとは思えません。

かく言う私も中学の時に、人間の人体を構成する元素を覚えたことがあっていまだに覚えているのですが、その元素を覚えても50年来全くなんの役にも立たなかった訳です。おまけに科学が進歩すると常識も変わって、最近では元素が増えたりしています。

歴史が好きな人は、歴史が現代を形作っているから大切なんだと説きますが、では現代のどこに平安京の794年が影響しているのでしょうか? それが794年か795年か間違えずに言えることに意味があるのでしょうか?

平成が西暦何年から始まったかでさえインターネットで調べているのに、「鳴くよ鶯平安京」って、本当に平安時代は春に始まったのでしょうか?

当時、平安時代が始まってから数年は知らないまま生きていた人たちも多かったのではないでしょうか?

せいぜい江戸時代あたりから現代の風習や文化ができたでしょうから、それまでの歴史はせいぜい中学1年の1学期でさっと済ませて、明治以降の歴史を中心に勉強する方が現代を理解するのに役立ちます。

決して戦国時代を軽んじるわけではありませんが、それほど古い出来事を検証するのは困難で、もはやほとんどがフィクションです。テレビドラマの娯楽としてはありですが、学問や初等教育として相応しい情報とは思えません。

それよりも将来の世界に役立つ経済やIT教育のの知識の方が、戦国時代の年号をむやみに覚えることよりよほど重要でしょう。

いやっ、誰も歴史がほとんどフィクションで役に全くたたないことは知っているのです。ただ、歴史を職業とする人たちの既得権益を守るために、仕方なく50年、いや100年近くも歴史が社会で重要だと言い張ってきたのでしょう。

まるで役に立たないと分かっていても、惰性で続けているバリウム胃透視検査のようです。

教育改革をするたびにずっこけていますが、そろそろ何が必要化が文科省にも見えてくる頃ではないでしょうか?