自動運転と人間の技量

日本で2例目のレベル4の自動運転バスが、東京の複合施設で実用化されたそうです。

特定の目的で人が集まりバスの運行が注目されるような場所では、完全自動運転が可能になりつつあるようです。

東京オリンピックのときは、監視員が添乗していながら接触事故が起こってしまいましたが、その後安全面も改善されたのでしょうか? 今回は人の手を介さない完全自動運転を行うようです。

普段何の気無しに利用している公共交通も、よく見るとバスの運転や電車の運転はかなり高度な技量が必要で。その運転手になるにはかなりの訓練と技量が必要なことが分かります。

そんな高度な仕事が機械に任せられるのかという疑問が生じると同時に、もうそのような技量を持った人が少なくなってきたのかと思ってしまいます。

たまに乗る路線バスの運転手が、周りの交通や乗客の安全や運賃計算に気を使いながら運行されているのを見ると、これは誰にでもできるものではないなと感心することが多々あります。

自動運転は人手不足解消が目的の一つでしょうが、実際に運転手の能力のある人材を探すことが困難になってきているのではないでしょうか?

路線バスに限らず、夜間を通して走り続ける流通でも、トラック運転手はもうなかなか適した人材がいなくなってきたのではないかと思います。

人手不足ではなく人材不足です。

何事も仕事をするには誰でもよいわけではなくて、それぞれに必要な技量や心構えが必要になります。高度な知能が必要な仕事もあれば、肉体的な能力を要する仕事もあります。

しかし、現代人は知能も肉体もどちらも衰えてきているのではないでしょうか?

AIや高度な機械化によって楽になるのはよいのですが、人間が衰えていくのはまずいのではないかと思います。

これからは人間の能力を維持するために、筋力と知力トレーニングを欠かせなくなるかもしれません。

人材の流動性

自民党の総裁選では、これまで中途半端な議論だけで結論が出ないままになってきた案件を引っ張り出して、さもそれを一気に解決することを公約のようにのたまう候補者がいます。

人材の流動化もその一つで、会社に使えない人材が滞留するのは人材の流動化が進んでいないためだというのです。

経営者というのは身勝手なもので、近年人材を育成するより、中途採用やアルバイトで必要なスキルを持った人を集めることに疑問を持たなくなっています。

ですから、他社と差別化することができず、どんぐりの背比べにならざるを得ず、将来的に経営がすぼんでしまうのです。

人材の流動性と政治家が言うときは必ず経営者の顔を見ながら言っているので、いかに迅速に不要な人材を首にできるかを競い合うのです。

それでは「人材の流動化」ではなく「使い捨て化」に過ぎません。(せめてリサイクルはしてくれ!)

ところで最近企業では、パワハラやカスハラ、セクハラにアカハラなどのハラスメント禁止教育が盛んです。政治や行政の分野ではどれぐらい熱心にハラスメント禁止教育をされているのでしょうか?

おそらく全く進んでいないと思われ、そのことが人材の流動性を簡単に宣伝文句として採用してしまう軽率な行動に表れているのだと思います。

総裁候補者が唱える公約はどれもが地雷のようなものです。

「それは言っちゃいかんだろう」みたいな標語のオンパレードですから、この先も日本は暗澹とした日々が続くのでしょう。

国民としては、少しでもマシな候補者が選ばれることを望むだけです。