バブル期を超える株価に湧く市場ですが、それを見てにわかに投資を始める輩が増えているとか。
小学校にも投資の授業を導入して、国民総博打打ち化が始まろうとしています。
まあ確かに、社会の勉強として化石みたいな歴史を丸暗記させるより、より生きた社会活動である投資を教えることの方がより現実的で役に立つでしょう。
しかし、小学校での情報教育でさえ教員の育成もままならず、未だに成果を上げているようには思えませんから、投資を教育すると言っても無類なことは目に見えています。
情報教育は、失敗してもプログラムやシステムに弱い子が育つだけですから、それほど致命的ではありませんが、投資は失敗すると容易に生活保護者に陥落しますから、国を没落させるには一番近道かもしれません。
よく「貯蓄より投資の方が利回りがよい」と言われますが、それは儲かっている人だけの平均を取っているからであり、損をした人も合計したら証券会社の手数料分だけ赤字になるのですから、宝くじや競馬と何ら変わるものではありません。
損をした人の犠牲の上に成り立っている投資が、教育の科目として成り立つのでしょうか?
人のために役立つことをやってその見返りに報酬を得るというスキルを付けるのが教育だとしたら、人の失敗に乗じてその金品を巻き上げる投資という行為は、果たして教育に値するものなのでしょうか?
もちろん、どのような教科書で、どのような人が、どのように教えるのかによって、このような心配は杞憂に過ぎないのかもしれません。
しかし、教育改革で成果がないまま何十年も弄り回した教育現場を、ただいたずらに混乱させるだけでなく、意味のないさまざまな政策で病弊した経済活動の、息の根を止める事になってしまうのではないかと心配せずにはおれません。