夏休みの課題の所有権

インフォシークニュースに産経ニュースの出典として「夏休みの課題は誰のもの?」という記事が掲載されています。

兵庫県の公立中学校での課題であった夏休みの自由研究で、生徒から提出された作品の返還請求に対して学校側が紛失したため、その作品の所有権を争った裁判が一審二審と右往左往しているそうです。

右往左往というのは、一審の地裁では生徒の所有権が認められたものの、二審の高裁では学校側に所有権があるとなって、現在は最高裁で争われているということです。

これほど基本的と思われる生徒が制作した作品の所有権に、裁判所の判断があっちやこっちやと判断しあぐねている様子は滑稽であります。

まあないことでしょうが、その生徒の作品が実はとても価値が高いものになったとしたら、地裁判決の2万円の損害賠償どころの話ではありません。

よく似た話としては、青色ダイオードで有名になった企業における発明・特許の報酬問題がありますが、最近では一定の報酬を社員に与えるだけで、特許そのものの所有権は企業に属するというのが一般的になったようです。

特許の場合は、それを得るための企業側の費用や援助が相応に考慮されるでしょうし、特許申請の折に事前に社員と企業が契約を結ぶことが習慣になっていますが、学校の個人作品の価値が重要視されなかったこともあって、作品の所有権を議論することもなかったのでしょう。

ただ中学生の作品といっても、将来はどんな価値を持つか分かりません。学校教育における所有権の根本的な考え方が、今回の最高裁の判決で明らかになるのを待つことにいたしましょう。

マルハラ

最近の特に若い女性の間で、LINEなどのメッセージの最後に「。」が付いた返事をもらうと、相手が怒っているような印象を受けるらしいです。

昔のCMで、会話の最後に「マル」と言って締めくくるものがありました。そのときは別に特別な意味があったわけではなく、少し冗談交じりに「これで会話はおしまい」みたいなニュアンスだったように思います。

逆に文章ならば、丸がない方が間が抜けている用に感じることがあり、最後までしっかり表現するという意味では丁寧なように思うのですが、最近のチャット文化では、文章ならあって当然のものが威圧感を醸し出すのかもしれません。

確かに文章で書かれたものをそのまま会話で話すとしたら、多少は堅苦しくなるでしょうし、会話でも丁寧語とタメ口では、丁寧語の方に威圧感を感じるかもしれません。

しかしもっと気になるのは、最近は業務でLINEを使って社内伝達をしているのかということです。

友達同士のたわいない会話ならまだしも、企業機密も含まれるであろう業務伝達事項に、LINEチャットを使うということの方が驚きです。

ですから、そもそも堅苦しいはずの社内業務連絡に、チャットを使っていることにこそ問題があります。業務伝達が堅苦しくなるのは当たり前で、友達との楽しい会話と同じツールを使っていること自体が問題をはらんでいます。

最後に「マル」があってハラスメントを感じるのは、気楽に使えるLINEの問題であって、その違和感を何でもハラスメント扱いするのはちょっと安易ではなかろうかと思います。

そのうちLINEから大量に機密情報が漏れたら、自然と業務では使わなくなるでしょう。

「マル」を無意識に付ける人も、付けられてハラスメントと悩む人も、もう少しの辛抱かもしれません。