2025年大阪万博の木製ループを保存できるか?

建設費が無駄だと避難された大阪万博の木製ループ。

シンボルとしての意味や日除けになるといった目的が発表されて、なおさら無駄さが目立っていましたが、それを受けて今度は万博後も保存すると言い出しました。

保存するからと言って全体の建設費が安くなるわけでもなく、後から敷地を使用すると見られるカジノがお金を払ってくれるわけでもありません。

ただ無駄と言う意見を抑えるためだけの、思いつきのアイディア(アイディアはたいてい思いつきですが)にすぎませんが、1970年の大阪万博でも同じ事がありました。

1970年の万博では、開催前は太陽の塔と大屋根、日本館と鉄鋼館が保存の対象になっていて、たしかに今でも太陽の塔と鉄鋼館は姿を確認することができますが、大屋根と日本館はメインテナンス費用が掛かり過ぎて、開催後10年ぐらいで撤去されました。

大屋根については、一部切り取ったものが今でも旧お祭り広場の片隅で展示されていますが、日本館は跡形もありません。

つまり保存したいということと、保存することができるというのは別だということです。

とりあえず現在の建設時にでる反対意見を抑え込むために、開催後の保存すると言っておけば良いというのなら、少なくとも開催後のメインテナンス費用を毎年予算として計上できることを説明しなければなりません。

特に世界最大の木造建築を目指していますから、そのメインテナンス費用たるや並大抵のがくではないはずです。

国立競技場の木造の屋根でさえその耐久性に疑問がありますが、外周2Kmにも及ぶ木製ループが、開催後10年以上のその場に留まるとは思えません。

SDGsを標榜する2025年大阪万博は、相応しい継続性を証明する必要があると思います。

いじめはあって当然

宝塚歌劇での団員死亡によって劇団内のいじめやパワハラ、そして企業として過剰労働などの問題が発覚しています。

ジャニーズ事務所の問題と同じく、以前から上級生によるパワハラなどが何回か報道されてきましたが、一向に改善されないまま無視され続けてきた経緯があります。

パワハラやいじめについて、外部調査として法律事務所が認められなかったという結論を出しましたが、いじめはあって当然で、それをどう管理して抑え込むかが組織運営のノウハウです。

よく私立中学受験の説明会で、当校には「いじめはございません」と断言する学校関係者がおられますが、それはいじめを見て見ぬふりをしているか、よほど観察力がないかのいずれかです。

復数の人が集まれば必ず格差が生まれ、その結果僻みやいじめが自然に発生するものです。

そこから発生するパワーを今に別のものに向けるように指導するのが学校の役割であって、いじめがないと断言するのは教育として全くの素人と言うしかありません。

宝塚歌劇に関しては、これまで数十年来様々な報道がされてきましたが、いじめや叱咤激励の類は最低でも必要悪、普通はあって当然という扱いでした。

踏切や鉄橋で走りすぎる阪急電車に音楽学校の生徒たちが一礼をするという儀式は、何も電車の安全を願って運転士や車掌さんにお礼しているのではなく、もしかして乗っているかもしれない歌劇団の年長者にお辞儀をしているです。

軍隊の儀式以外の何物でもなく、現代としては異常です。

流石にこの儀式は最近ではなくなったみたいですが、いまだにいたるところで軍隊調の儀式が残っているところが伝統と言えるでしょう。

ただ、ジャニーズ事務所の場合も宝塚歌劇の場合でも、そのような噂は何十年も前からある訳で、それにもかかわらず若い人が入所・入団するところに問題があります。

最初はそのきらびやかな芸能界に憧れて盲目になっていて、気づいたときにはもう引き返せないということなのでしょうか?

この問題は、調査を担当した法律事務所と阪急電鉄の関係が明らかになったために、さらに泥沼化していきそうです。

阪急という企業グループは、関西地盤でチヤホヤされて放漫な経営をしてきたために、つけ入られる隙が多いです。

阪急と阪神が合体させられた事件もそうでしたが、危険管理能力にかけているきらいがあります。

ぜひ、今回の事件に向き合って、伝統に甘んじることなく改革に踏み切って、本当に清く正しい歌劇にしてもらいたいものです。