日本人の給与が低い理由の一つ

日本人の給与が、世界的に最低レベルであると言われてすでに久しくなりました。

90年代初頭には日本人の給与が高いために国際競争力がないと言われ、どんどん海外に生産拠点を移転して行ったお蔭で、国内の技術も移転されて別の理由で国際競争力が下がり、給与も下がってすっかり逆転してしまいました。

日本円の為替レートが90円を切っていた頃と比べると、現在の150円なら4割給与が下がって見えますから、円の価値が下がったことが給与低下の理由の1つであることは明らかです。

しかし、相変わらず国内の収益には偏りがあって、本来価値のないものにお金を費やす傾向があるように思います。

例えば国際競争力がなく、特許や特効薬の排出が殆どない製薬業界の給与が高いのは、健康保険の仕組みや業界の発言力に支えられていますし、日本特有の業界と言われる商社が相変わらず高い給与を得ているのも、全体の給与を下げている理由ではないでしょうか?

芸能界やテレビ局の高給も、本来の価値の創造の観点からはそれほど価値がある産業とは言えず、それらが唯一生き残った輸出産業である自動車業界の給与より高い妥当性があるとは思えません。

日本は、いわゆる社会主義的に値段が決まってしまう傾向が強く、業界の癒着や政治への圧力が強い影響力を持っています。

本来の市場経済は、開放的な競争があって妥当な価格や産業の収益に結びつくわけですが、どうも日本は資本主義が定着しているとは言えないようです。

社会主義国における給与が低いのは、充実した社会福祉によって相殺されるわけですが、日本は給与が低いからと言って特段社会福祉が充実しているとは言えず、社会主義と自由経済の悪い特徴が目立っているようです。

何事も競争原理だけで解決できるものではないでしょうが、競争原理が働かないのに国際的に給与を比較しても意味がありません。

一度歪んだ産業構造を見直すことが必要ではないでしょうか?

名古屋城の木造化は必要か?

江戸時代の本物を木造建築で再現する計画が、思わぬ方向に向かっています。

そもそもコンクリート建築と木造建築の価値観の違いで揉めているところに、エレベーターの設置によってせっかく木造建築にしたのに本物感が失われるという意見と、バリアフリーを目指すべきだという意見が衝突しています。

まあいずれはどちらかが譲歩できるところは譲歩して、どっちつかずの結果に落ち着くのが常なのでしょうが、ここでもう一度文化遺産や歴史的建築物について考えてみたいと思います。

例えば絵画の場合、原画を修復したものと、レプリカしたものは明らかな価値の差があるように思います。いかにレプリカが精巧であったとしてもそういうレベルの問題ではありません。

ただ建築物については、戦争や天災で破壊された場合、絵画に比べて遺産としての価値があるように思います。

絵画の場合は、画家の筆使いやキャンバスの質感、保存状態の良し悪しが決定的に価値を持ちます。

しかし、建築物の場合は、そもそも作者たるべき大工さんが誰かも分かりませんから、「のみ」や「かんな」のタッチが話題になることはありません。

名古屋城ほどの規模になると、歴史的にこのような立派な建造物がある時代にある人物によって建てられたということが重要なわけで、本当に存在したことが歴史上証明されていれば、別に建築物としての本物感は重要でないような気がします。(あくまで個人的意見です。)

もし、木造建築でとてつもない難しい工法であったとか、世界一高い木造建築だったとかなら、木造以外で再現しても存在価値がないかもしれませんが、名古屋城を今更木造建築にしたところで、本物と同じ材料で作ったというだけであって、それほど本物に近づいたという気がしないのではないかと思います。

ということでここでの結論は、そもそも現状の名古屋城を大切に守っていけば良いのではないかと思うのです。

現状の金のシャチホコにも結構思い入れがある人達も多かろうと思いますし、今の名古屋城を建造するときもその時の最善を尽くしたのでしょうから、何もわざわざ壊してまで似たようなレプリカを造りなおす意味はないと思う次第です。