在職老齢年金の考え方

厚生年金をもらいながら同時に働いて給与ももらった場合、合計金額が月48万円を超えると、超えた金額に応じて年金が減額されます。

これは厚生年金に加入しながら働いて給与を受け取る場合だけですから、働いても厚生年金に加入しない(厚生年金保険料を払わない)場合は関係ありません。

しかし、最近はあらゆる業界で厚生年金加入が条件になっていることが多く、この制限にかからないように給与を制限して働く人もいるようです。

一定の金額以上に収入があれば、生活の糧になる年金を減らすというのは、理にかなっているようで、かなっていないようでよく分からない制度です。

年金が生活に最低限必要な金額を、保険として保障するのですから理にかなっているのですが、配偶者の収入によって健康保険や年金の加入が求められるために、仕事を制限するのと同じで、人手不足で高齢者の雇用を勧めるに当たって障害ともなるルールです。

年金を正規に受け取るのは権利で、仕事に応じた給与を受け取るのも権利です。

合計が48万円以上になったら給与が減額されるというのがあり得ない(それなら働く時間を減らす)ですから、年金を減額するのも権利を奪っていることにほかなりません。

年金の支出を減らしたいのなら、48万円を超えた部分については将来に持ち越すのが妥当でしょう。

一生懸命働いたために月48万円を超えても、年金額も含めてそれだけ働いた報酬ですから、そこに手を付けると仕事と報酬の関係性が崩れてしまいます。

自由経済においてあってはならないことで、配偶者の給与制限や年金の所得制限は、最低限の給与を保障する社会主義的な仕組みでしか説明できないでしょう。

人手不足であらゆる手が足りない状況が進むにつれて、就業時間を制限するこれらの制度は早急に廃止するべきだと思います。

今日はハロウィーン!

まあ、今の日本でのハロウィーンネタと言えば、渋谷のハチャメチャな大騒ぎでしょうが、ここ数年海外でも人気が出てしまって世界中からお祭りのように人が集まってくるようになりました。

まあそれだけでは問題にならないはずですが、人が集まると争いが起きて事故やけが人が出る可能性が高くなります。

特に韓国の梨泰院での惨事があってからは、人混みに対する警察の真剣度が違ってきました。

渋谷はハロウィーンの仮装会場ではないと区長が宣言して、必死に人出を抑えようとしていますが、それでも渋谷を目指すと宣言している一般人がいたり、海外からそれを目がけてやってくる人たちがいますから、しばらくは渋谷ハロウィーンは続くものと思われます。

これほど海外でも有名になったのですから、それをうまくイベントとして活かす道もあると思いますが、まだ旗を振る企業なり団体がいないからか、単なる迷惑行為として警察が事故にならないように抑えるのが必死という状況です。

世界にはリオのカーニバルやニューヨーク市のニューイヤーイベントなど、世界中で集客力のあるイベントが長い間の伝統のように形成されていますから、それと同じように渋谷を中心として、新宿などを含めて計画的なイベントとしてルールやドレスコードを決めることによって、長く続く世界的なイベントになったかもしれません。

実際、渋谷にハロウィーン会場があって、どちらかと言うと本格的な仮装を中心とした人達が集まるようになっているようですから、各エリアごとに特色を持ったイベント会場にするなど、いくらでも趣向を凝らしたものにできるでしょう。

今後のイベントとしての進化を期待したいです。

しかし、結局ハロウィーンなどどうでもよくて、公共の場で酒を飲んで騒ぐことが楽しいという人もたくさんいるでしょう。

ただ羽目を外すのが目的ですから、そのような人が満足できるようなイベントにするのは相当難しいかもしれません。(別に満足してもらう必要もないですが、、、)

役職定年制に思う

定年は雇われて仕事をしている人には付き物です。

年を取ったのでそれまでとは同じ仕事はできないでしょうということで、肩書を剥奪して給料をそれまでの3割引きにするというもの。(つまり70%に減額されるということ。)

まるでスーパーの賞味期限間近の値引きのようです。

年を取って能力が衰えるのは仕方がないことで、いくら経験が豊富だと行っても頭の回転が鈍くなったら経験を活かすことさえできません。

仕事の責務や給料の減額は当然のことです。諦めましょう。

私は55歳から給与がそれまでの5分の1になりましたから、20%や30%の減額でガタガタ言うなと言いたい!

実際企業における肩書なんて、その人が素晴らしいから与えられたものではなくて、誰かがその肩書にいないと業務に支障があるからであって、あなたがいなくなったら別の誰かがすぐに肩代わりします。

つまり企業は、古くなった細胞がになって洗い流されるように、古い人間は捨て去られる運命なのです。

そうしないと生きたままミイラになってしまいます。

生きたミイラが政治の世界や個人企業で蔓延っているのは、定年制がないからであって、適切な定年制は必要だと思います。

たとえ個人企業であっても、企業が個人でなく社会のものだとしたら定年制は必須です。

だって、年寄は判断鈍いし常識ないし身勝手だから。

だから定年後は、身勝手なことを思う存分できる自由の身になってもらいたいのです。晩節を汚すこともなくなります。

役職定年制、あなたはもう年寄りで正しい判断ができないのですから。

USの自動運転タクシー運行停止の意味

USのGM傘下企業が運行する無人タクシーであるクルーズが、運行を全米で停止するらしいです。

これまでにいくつか自動運転タクシーの怪しい行動がニュースになっていましたが、さすがに救急自動車を妨害しただけでなく、事故で横たわった人を認識できなかったことで、現状の技術レベルでは対応できないと判断したのでしょう。

USの自働車の運転は日本やイタリアに比べてはるかに簡単で、目をつぶっても運転ができると思ってしまうほど、とっさの判断が必要になるほどの事態は起こりません。

しかし、事故直後の複雑な状況判断や緊急自動車に異常に反応した運転者の状況把握に、解決しなければならない問題があったとクルーズは判断したのでしょう。

世界の自動車はほぼ同じ操作で運転でき、運転免許も居住国の免許がそのまま通用するのですが、各国の運転の難易度にはかなりの差があります。

その差は、交通法規の出来不出来や道路状況、国民の性格や国民の運動神経から醸し出されるのですが、日本はその中ではかなり底辺に来るのではないかと思います。(つまり自動運転が適応できにくい!)

なんせ、おもてなしや侘び寂びを売りにする国民と文化ですから、自動化技術とは相性が悪いです。

相手の過ちを雰囲気で感じ取って対応しなければならない文化ですから、論理的な機械任せの自動運転で判断できないことがいっぱいあります。

もし、先進国の80%で自動運転が普及したとしても、日本は残りの20%に入ることは間違いないでしょう。

自動運転の普及を最後まで競うのは、日本とインドと中国ぐらいではないでしょうか?

USがこのまま自動運転の将来性がないと、見切りをつけてくれることを願います。

USBメモリーの功罪

はっきり言ってUSBメモリーは失敗作でした。

なくても良かった、なければ良かったというほど酷い製品でした。

データを無セキュリティで持ち歩くという愚かなことを、利便性と言う名の怠惰な行動で正当化したIT史上トップクラスの過ちでした。

私はコンピューター製造業にいた頃、USBメモリーが普及し始めた頃にすぐに社内持ち込みが禁止されましたから、お客様がUSBメモリーを持ち出してファイルのコピーを依頼されたときはたまげました。

確かにそれまでにもフィロッピーディスクという持ち運びができる外部メモリーがありましたが、時代がまだセキュリティに目覚めていない時代でした。しかも容量が小さかった!

しかし、USBメモリーは価値のある情報を盗めるほど容量がありました。

その後、セキュリティキー付きのUSBメモリーが登場しましたが、そんなめんどくさいキーを有効化する人はほとんどいませんでした。

結局USBメモリーメモリーは、不用意にデータを持ち出す人々に愛用され、数々の機密情報の意図しない開示に結びついたのです。

その被害金額がいくらかは誰も計算しないでの分かりませんが、とにかくUSBメモリーがITの分野で不用意なデータの持ち出しを奨励したデバイスであることに疑いはありません。

そんなことを言えば、SDカードのCFカードも同じじゃないかと言う方がおられるかもしれませんが、中のデータが違います。

とにかく、今手元にUSBメモリーをお持ちの方は、まずその中のデータを削除するか暗号化するかしてから、寝るようにしていただきたいものです。(寝るんかい?)