80年代のアメリカと今の日本は似ている

80年代のアメリカ(合衆国)は悲惨でした。

経済的にも政治的にもまったく良いところがなく、50年代、60年代に謳歌した経済の優等生のような面影はまったく消え失せていて、政治家も企業もやることなすことすべてが裏目。

街にはボディーに穴が開いた車が煙を吐きながら右往左往し、ヒッピーとも浮浪者とも区別がつかない若者がたむろしていました。

当時、アメリカで唯一光っていたのは自動車産業でした。

いくら落ちぶれかけていたとは言え、御三家と言われたGM、フォード、クライスラーはアメリカの繁栄と富の象徴だったのです。

しかし、そのアメリカ製の車は品質が悪く、ドアのノブはすぐ外れるし、エンジンはすぐ止まるし、ディーラーのメインテナンスはお粗末だし、自動車保険の支払いは渋り倒して、自動車産業自体が過去の栄光にすがるだけで倒れかけていました。

今の日本を見てみると、トヨタ以外に世界で戦える自働車メーカはなく、車検やメインテナンスはでたらめで、おまけに自動車保険は穴だらけ。

まさに80年代のアメリカをそのまま映しているように見えます。

アメリカも、当時学生が集っただけのサークルだったアップルやグーグルが、その後時流に乗って世界の富を独占する存在になりましたから、それと同じように日本もスタートアップと呼ばれる企業が成長することを期待しますが、期待するだけでは思うように成長しない可能性があります。

是非とも、国家の運命を賭けて近い将来の日本を背負っていけるような有望な企業を探り当てて、国家を上げて支援できるような施策を繰り広げていただきたいものです。

大阪万博の建設予算が1.8倍

2025年の第2次大阪万博の建設予算が、当初の1.8倍の見積もりになっているというニュース。

建設費に限らず、食品も押し並べて30%は価格が上がっている世の中ですから、1.8倍なら致し方ないような気もしますが、今の時点で1.8倍と言っているということは、最終的に3倍近くになるだろうとは素人と言えども誰でも予想できることです。

さて、当初の3倍でも開催の価値があるのならいいのですが、収支が建設費3倍で見合うはずがありません。(もし見合っていたら最初の収支計算がとんでもなく嘘になります。)

最終的に見積もりが3倍になったと言えば、1964年完成の最初の東海道新幹線がありますが、これは高度成長過程にある日本が経済活性化のために必要だったこともあって、予算の使い過ぎだという議論が起こったことはありません。

インフレでお金の価値が下がり基調ですから、最初のうちは赤字が目立っても、そのうちインフレや利用率の上昇で投資の効果が顕著になってきます。

ところが、万博はわずか半年の命です。

しかも、その後跡地を利用するカジノ企業が、跡地の地盤改良に数百億円をかけるように要請しています。

時代が違うのですから、昔のようにイケイケドンドンでは羽目を外します。

ですから、当初予測した予算が外れた時点で、そのプロジェクトは失敗が決定しているのです。無理に進めると赤字が膨らみます。

ここまで来たからには何が何でも成功させると考えるのも、勢いの良かった過去の日本なら許されましたが、今の日本では国民の税金に頼るのは許されません。(ここが大事!)

(日本の政府や地方自治体は、税金をドラえもんのポケットだと思っているのか!)

これは建設予算が1.8倍ならその0.8倍分を支払う勇気があるスポンサーを募って、現れないなら開催を中止にするしかありません。(あとに入るカジノ企業が肩代わりしてくれれば一番良いですが、するわけがないです。)

少なくとも、このまま行けば国民の税金がまたもや無駄なお祭りに使われてしまうだけですし、もはやそれを許せるほど日本は裕福ではありません。

1970年の大阪万博にときは、開催の2~3年前から「大阪万博を成功させよう!」というキャンチフレーズを書いたのぼりが街中に上がっていて、鉛筆などのあらゆるものに印刷されていたいものです。

それほど国民が一体になってあれだけの成功を収めたのです。

それに比べて、今回の大阪万博は盛り上がりもない、予算もない、入場料は高い、行く気はない。これはやめるしかないという状況です。

せめて、赤字が出たら背負ってやるという投資家を今から募って、祭りのあとの尻拭いの準備を始めておくのが賢明かもしれません。