飽きられる観光資源

中国からの団体旅行が解禁されて、インバウンドが最盛期と同じぐらい増えることが一部の業界では期待されていますが、一方でオーバーツーリズムによる生活への影響が心配されています。

オーバーツーリズムは、観光客で儲かる人とただ単に迷惑を被る人が別だから問題になるわけで、儲かっていれば多少の不自由は我慢できるでしょうし、何のメリットもない人はただ生活が不便になるだけでおもしろいことは何もありません。

だいぶ昔のことになりますが、海外から京都に来ていた御婦人に、京都には寺と神社以外に見るものはないのかと聞かれたことがありました。

どこに行っても同じような寺と神社ばかりで、まともな博物館や美術館、動物園などがないことを憂いていました。

そもそも京都の神社仏閣は、観光客のために作られたわけではありませんから、その配置や観光としての利便性が考えられていません。

ディズニーランドのように、初めから人の流れや所要時間、待ち行列の施し方など、設計して作り込まれたものとは違いますから、海外から来て観光するのには、興味を持って効率よく回ることを工夫しなければ、疲れるばかりで退屈な旅行になる可能性があります。

ところで、最近は東京や京都などの都会ではなく、地方都市や自然の風景を楽しもうとする海外旅行客が増えているそうです。

それだけ日本の観光資源が豊富であると捉えることもできますが、逆に都会の観光資源はすでに飽きられている可能性もあります。

旅行が異文化や未経験なことに触れるのが目的だとしたら、日本の都会の景色はそれほど世界の他の都市と変わるものでもなく、日本の伝統が息づく地方の方が異文化を感じやすいのかもしれません。

京都の寺や神社も、海外にもっと深く理解してもらえるよう文化や伝統を深く印象づけるような志向を凝らさなければ、海外旅行の興味の対象として選ばれなくなる可能性があるでしょう。

インバウンドで経済が潤うのを喜ぶだけでなく、日本の観光資源を磨き続ける努力が必要なのかもしれません。

解決するより誤魔化す時代

最近日本にはどうにも解決しがたい問題が山積しています。

とりあえず筋がある問題の場合は、あれやこれや試行錯誤をしているうちに本質的な解決につながる道が見えてくるわけですが、筋が悪い問題の場合、どうにもこうにもいつまで経っても解決らしい道が見えないまま右往左往することになります。

例えばマイナンバーカードやNHKの受信料問題のように、何度も何度も新聞を賑わしている割には一向に解決しない状態が続きます。

これらは本当に解決策を示そうとしているのではなくて、世間の反応を伺いながら解決策を繕っているに過ぎないことが多々あります。

おそらく、正当な解決方法が取れない理由は一部の既得権益者がいて、そもそもその問題自体がその既得権益者が原因だったりする訳です。

ですから、世間一般が考えるような解決方法は、社会から見れば妥当なものに見えても、彼らからすれば既得権益が侵食されるために受け入れ難いということなのでしょう。

正当な解決方法には、その既得権益者を滅ぼすことが前提になってしまうので、議論をそちらの方向に流れないように、あらゆる手段を使って存続の道を探るわけです。

ですから、本来なら短期間で解決できるものを、色々な手段を使って権益の存続のための誤魔化しのテクニックを駆使し、結果として国民は問題の本質を見失いがちになり、結論が見えないまま既得権益が保存されてしまうのです。

当然そのために失われる利便性は莫大なものとなり、時代遅れの既得権益を保存するための損失は多大なものになります。

そのようなことばかりしているから、日本の生産性が低いまま世界から取り残されてしまったと言えるでしょう。

世界に追いつく切り札になるべきマイナカードが、かえって社会のお荷物になりつつあるのは皮肉なことです。

日本の社会を良くしたいのなら、既得権益者をいったん解散して、新しい制度から過去のしがらみをなくすことが必要だと思います。