Threads(スレッズ)の勝敗

近年SNSと言われるものが普及して、人々のインターネットとの交わりが大きく変わったのは疑う余地がありません。

配信された情報を受け取るだけでは、受け身である放送を受信しているのと同じですが、個々が自分の意志で発信することができるようになった点で、真の通信としてインターネットが使われだしたと言えるでしょう。

そのSNSで最も強烈な特徴を持っ(てい)たツィッターと、ほぼ同じ機能を提供するというThreadsが提供され始め、さっそくインスタグラムのアカウントを持っていた既存のユーザーが、率先してThreadsユーザーに名乗りを上げて利用が始まったようです。

SNSはインターネットを利用していると言っても、単なるアプリケーションのユーザーに過ぎず、そのアプリが許す範囲内で情報を発信するに過ぎないのですが、その簡易性が世界中からユーザーを集める原動力になります。

アプリケーションである限り、そのアプリの提供者の思惑に従うしかなく、政治や思想の形成に利用される可能性が高いのは、SNSはの宿命と言えるでしょう。

実際にツィッターがアメリカの選挙に影響を与えたと言われていたりすると、利用者はそれなりに注意はするでしょうが、いかんせん投稿された情報がフェイクであるかどうかなんて利用者に分かる訳がなく、そこはアプリケーションの提供者が信頼の置ける人(会社)かどうかの判断に委ねられるわけです。

その点において、メタという会社が信頼に相応しいかと聞けば、「信頼に足りる」という人もいれば「怪しいが多分問題ないと思う」という人もいるでしょうが、「よくわからない」という人が大半でしょう。私も分かりません。

よく分からないから使ってみるのか、よく分からないから使わないのか、おそらくよく分らなければ使わないのが正解なのですが、よく分らず使うからインターネットが危険なところなのでしょう。

さて、Threadsの最初の勢いはまだまだ続きそうですが、この手のアプリは2番手は消える運命にありますから、1~2年の内にはどちらかに軍配が上がるでしょう。

さて、あなたはどちらを選びますか?(SNSは嫌い? それもありです。)

新型コロナの第9波

最近、職場で海外に行った人が帰国すると、必ず次の日から新型コロナ陽性になってしまう状況が続いています。

行く場所にもよるでしょうが、かなり海外ではまん延しているのではなかろうかと。

新型コロナもこれまでのインフルエンザのように、定期的に羅漢するか、効果が疑わしいワクチンを打ち続けるかを、続けて行かなければならないのでしょうか?

社会活動は「ただの風邪の一種」という扱いに徹していて、勤務形態も出社が当然、混雑した電車などでもマスクは必要なしと、これまでの生活を維持することがとても大切なのでしょう。

少しぐらいは生活を改善する向きがあっても良さそうですが、改善して定着させることが如何に難しいかがよく分かります。

日本では、無駄なことでも踏襲することに価値があるのでしょう。日本の伝統がそのように形作られたということも納得できます。

物事を良いか悪いかで判断するのではなく、変わったか変わってないかで判断する。その方が、意見おばらつきが出にくくて、多数決を取りやすいのかもしれません。

確か90年代あたりでは、変化を来たすような標語がもてはやされたような記憶がありますが、最近はあまり変化が好まれない傾向があるような気がします。

それは、マイナンバーカードのように、変化が唐突で意義が理解できないものが多いからかもしれませんが、「変化するのは面倒なだけで意味がない」というムードが漂っているような気がします。

まずは第9波を乗り越えることが大事ですが、その先には希望が持てる変化が訪れることを期待したいです。

合成甘味料は危険か?

最近、合成甘味料の危険性を訴える海外の論文が話題になり、日本でも合成甘味料が入った食品についての議論が活発になってきました。

特に熱中症予防に飲み物が欠かせない時期ですので、スポーツドリンクなどの含まれる甘味料に注意を促す記事が多くなりました。

あるいはチューハイなどのアルコール飲料でも、合成甘味料が使われたものが多くあります。

1960年代後半に合成甘味料に発がん性が認められたとして、チクロが話題になったことがありました。当時は菓子や飲料に大量に使われていたようですが、内容物の表示義務がなかった時代ですから、ほとんどの人は自分が取得している事に気づいていなかったように思います。

その後、新しい合成甘味料が続々と開発されてきて、その危険性が叫ばれながらも継続して使用されてきました。

今回、改めて危険性が明らかになったのですが、どの程度使用が制限されるでしょうか?

元来、スポーツドリンクは当分の補給が目的の一つですから、合成甘味料は不要に思いますが、コストの関係から甘みを増強する必要があるのでしょう。

以前スポーツの後、限界近くまで喉が渇いて空腹のとき、自動販売機で目についたダイエットコークに手を出して、ひどい目にあったことがありました。

体は糖分を要求していて、味も甘さが十分あるのに血糖値が上がらないという矛盾に、体が悲鳴を上げていたのでしょう。

甘さがありながら、その甘味の正体がないのは、ダイエットにおいても却ってリバウンドなどの矛盾を起こすようですから、砂糖にも害はあるとしても、まともに糖分を補給した方が、健康には大きな害を来すことはなさそうです。

最近は、チューハイにもドライタイプは甘味料なしのものが増えてきました。

合成甘味料は変な後味が残ることがありますから好んで飲んでいますが、合成甘味料の害よりもアルコールの害の方が顕著になることがないように、飲み過ぎには注意が必要です。(自戒を込めて!)

LGBTQと分けて考えよう

最近のニュースで、男女が分かれている競技でトランスジェンダーの参加はフェアかどうかとか、心の性と体の性のどちらを優先してトイレや公共浴場を利用したら良いかなどの議論が目立ちます。

その中ではまだ結論がはっきりと出ていないものが多く、更に多くの議論が必要だということに気付かされます。

どちらかと言うと、色々な考えがあってそのすり合わせをしていると言うより、考え方の前提が様々であって、そもそも議論に至る前に噛み合っていない感じがします。

スポーツ競技の場合は公平であるかどうかが焦点になるでしょうし、公共浴場の場合は利用者が互いに安心して利用できることが求められるのですが、それぞれの前提になる考え方に幅がある上に、当事者とそうでない人の間にもかなりの温度差があるように思います。

また、LGBTQと一緒に論じることが多いのですが、LGBTQそれぞれの人たちを一緒に論じることが正しいのかどうかという疑問がつきまといます。

これまでは心と体の性が一致していると決めつけて2種類に分けていたら良かったところが、心と体の組み合わせで4種類になったと言うだけなら、比較的簡単に対応できるのかもしれません。

しかし、実は組み合わせが4通りどころではなく、心と体と性的指向で8通りになり、それ以外に肉体的特徴や心と体にも様々な程度の差があって、そう単純に型にはめてパターン化できるほど単純ではないことが分かってきたという段階ではないでしょうか?

スポーツ競技においては、いくら心と体が女性だとしても、長年鍛えた筋肉があるとフェアでないと言うのも頷けます。

性的マイノリティを表す言葉としてLGBTQと表現するにしても、実際の問題については、もっと細分化して考えていかなければならないように思います。

SF映画で描かれる未来では、男も女も、人間もロボットも、地球人も宇宙人も通りを行き交っていますが、いったい未来の公衆トイレはどうなっているのか知りたくなります。(そもそも未来では誰もトイレには行かない?)

それまでは、知恵を絞って多様化に対応していかなければならないのでしょうね。

メーカー指定価格の成否

パナソニックが商品の小売価格を、販売店ではなくメーカーが指定する取り組みを2020年から始めているらしいです。

安売り競争になると、メーカーだけでなく販売店も顧客も不幸になるという理屈らしいです。

これは白物家電に限らず、新型が出るたびに新機能で購買意欲を持たせて高い値段でも買いたくなるように仕向けるこれまでのやり方をやめて、一切値引きができなくしてモデル末期の値崩れを防ぐことができれば、無駄な機能を追加して新型を次々開発する必要がなくなるということらしいです。

顧客にとっても、新機能が追加され続けてかえって使いづらい製品になるより、必要なものが安定した価格で提供され続ける方がよいだろうということでしょう。

製品の長寿命化や販売店の無駄な競争によるストレスも緩和できるだろうということです。

これを聞いて思い出したのは、1980年代のUSの家電事情です。

当時、シアーズなどの白物家電を扱う店に行くと、当時の日本に比べて比較にならないぐらい安い冷蔵庫や洗濯機が並んでいました。

日本で言うところの10Kgぐらいの容量の洗濯機が3万円、同じ容量の乾燥機が1万5千円。冷蔵庫は水道管直結の自動製氷機付きで3万円ぐらいでした。

シアーズ以外にはそれほど大型家電を扱う店はなく、あったとしてもほぼ同じ値段でした。

給湯器に至っては1万5千円ぐらいで、製品ごとの機能に違いはなく店によっても値段は変わりません。いわゆる競争がない状態というのでしょうか? 確かに機能や価格で比較しても違いがなければ、どの製品をどのお店で買っても同じです。

パナソニックが目指す家電の売り方は、普遍的で最低の機能の機種をモデルチャンジせずに何十年も売り続けて、その間故障してもいつまでも部品が手に入り、必要ならば個人でも修理が可能な製品を作り続けることにほかなりません。

パナソニックはそんなことを目指しているのでしょうか? 

もっと昔に、まだパナソニックが家電のトップで、価格統制力を持っていた頃でさえダイエーの販売力に打ち勝てなかったのです。

いまや中国製の製品が溢れてきていて、価格を決めることができるとしたら最低価格で勝負できる中華メーカーしかありません。

もしパナソニックがまだ日本メーカーの優位性が残っていると信じて高価格を維持しようとしたら、大塚家具の二の舞いになるのは目に見えています。

それどころか、以前に比べて家電量販店に置けるパナソニックの存在が、薄くなってきているようにさえ感じます。

他の家電メーカーが次々と中国資本に乗っ取られています。

パナソニックの家電部門が、中国企業に切り売りされる日も近いのでしょうか?