ふるさと納税の5割ルール

ふるさと納税の宣伝サイトが、ふるさと納税の金額の5割以上を税金とするルールに違反して、手数料などを別途徴収していたらしいです。

5割ルールが曖昧な定義だったのが原因と言うことらしいですが、あまり5割を厳密に管理すると、「そもそも2000円は誰が取るのよ?」という疑問がどこかに向かっていくのを恐れているのではないかと思ったりもします。

本来、ふるさと納税の案内サイトはあくまで案内に徹するべきなのですが、今や百貨店のお中元サイトよりもどう見てもお金がかかっているでしょう。

さらに、テレビCMの頻度が桁違いに多くほぼ一年中やっていますから、そのコストはかなり膨れ上がっているのではないでしょうか?

ですから、そのコストを充填しようとして、更にふるさと納税の寄付金からくすねようとするのは当然の成り行きで、最初からふるさと納税の案内はもっと慎ましやかに行うことを基本とするべきだったのです。

この5割以外の手数料をふるさと納税サイトが請求していると言うことは、私たちが寄付した金額から差し引かれるわけですから、2000円を引いた半額分の特産品が届くと期待しても、5割に満たない金額の商品しか届かないことになります。

これは住民税からふるさと納税サイトが手数料を取っているのではなくて、私たちの寄付金を横から勝手に差し引いているのですから、国民を欺く行為と言えるでしょう。

そもそもふるさと納税のサイトのコストやテレビCMのコストは、ふるさと納税の手数料、私たちから見て2000円の内訳として計上されるべきではないでしょうか?

何も派手にテレビでCMを流す必要などなく、あくまで寄付の方法の1つとしてふるさと納税があるのですから、現状のふるさと納税サイトの宣伝行為は過剰だと思います。

ところで、最初から2000円は差し引かれて寄付されるのですが、その2000円はいったい何に使われているのでしょうか?

本来、ふるさと納税に関わる経費はその中で賄うべきだと思うのですが、ここでも無駄な金が流れているような雰囲気があります。

ふるさと納税を多くの人が利用するようになってきましたから、一度ふるさと納税のお金の流れを整理して見直すところは集成するべき時が、来ているのではないでしょうか?

複雑なものには罠がある!

だいたい世の中の複雑になっているものには罠があります。

本質を見抜けないように複雑な仕組みにしておくと、罠に気づかれずに人を騙すことができます。

もし、あなたが他人を騙そうとして、簡単に見抜ける罠を仕掛けますか? もし地面に罠を仕掛けるなら、葉っぱや土でカモフラージュしますよね。

ですから世の中で複雑だなと思うものには、簡単に見抜けないようにしているだけのことが多いです。

例えば税金の話。

確定申告をしてみれば分かりますが、たかだか数枚のエクセルの表があれば結果が出る程度のことですが、それを如何にも複雑なもののように見せて、税理士の先生でなければすべてを理解できないぐらいに複雑で高等なもののように見せかけています。実際はいくつかの算数の式の組み合わせに過ぎません。

もちろんその計算の根拠になる数式を決めるためには、経済学や社会学、歴史や産業の仕組みが関わっているのでしょうが、税金の話に落とし込んだら後は加減乗除だけで解決します。

それに年金問題。

これはやはりその年齢にならなければ真剣に考えることもありませんから、サラリーマンなら定年が間近にならないと年金額を気にすることもないでしょうし、ねんきん定期便も他人事のように思う人が多いのではないでしょうか?

これもやたら複雑になっていますが、色々な例外や後から追加された制度などでごちゃごちゃになっているだけで、やはり算数の問題に過ぎません。

でも複雑で分かりにくくしておかないと、問題が起こったときになぜだなぜだと非難轟々になりますから、できるだけ理解できる人を少なくするために、日本人の知能程度を考慮して十分に分かりにくくしておく必要があるのでしょう。

最近色々と問題を起こしているマイナンバーカードにしても、戸籍や健康保険の制度を古いまま、複雑なままでデジタル化を無理やり取り込もうとするから、無駄な労力が発生する割には先に進まない訳で、まず戸籍や健康保険制度をデジタル化に対応できるように前処理をしてから、マイナンバーカードに統合する必要があったと思います。

すべての戸籍で使われている漢字を、新しい文字コードを振ってフォントも作ってデジタル化するなんて、それはデジタル化ではなくデジタルでアナログを無理やり表現しているだけ!

「デジタイズ」には「サンプリング」という処理が必要ですから、まず元のデータをサンプリングするところから始めるべきでしょう。

このようなことは十分理解している人が、省庁や開発メンバーにもいたと思います。しかし、流れに任せてしまった方が楽だという大勢の考えが、現状を招いたのではないかと思います。

複雑は仕組み、複雑な社会は国民への挑戦だと思って、絡まった糸を解きほぐすように我慢強く、生き抜いていくことが必要なのでしょう。

メーカーがドライブレコーダーを標準装備しない理由

最近は、事故のたびにドライブレコーダーの記録が精査され、事故の原因を探ったり他の事故の報道に画像が使用されることが増えて、ドライブレコーダーが必須アイテムになった感があります。

それほど記録を取ることに意味があるなら、とっくに自動車メーカーが標準仕様として装備していても不思議ではありませんが、今だに後付のオプションになっている場合が多いようです。

ドライブレコーダーと聞けば、同じ響きのものにフライトレコーダーがあります。

飛行機の各機器の状況や速度、高度や無線通信の会話を記録していて、墜落事故が起こればまずフライトレコーダーを回収して解析することが常になっています。

航空機事故は、自然環境によって起こることもありますが、航空機自体の欠陥や操縦士のミスが引き起こすことが多いので、フライトレコーダーから事故の原因を調査した場合、航空機メーカーの責任がはっきりするケースがあります。

現在のドライブレコーダーは、映像と音声だけを記録するに過ぎませんが、車に標準装備するとすれば、当然自動車の状態、例えばエンジン回転数やブレーキペダルの踏み圧、ハンドルの切り角やランプの点灯状態など、運転状況を記録することが求められるでしょう。

今よりコストアップする要因になりますし、自動車の設計ミスを如実に示す兆候も記録されることもあるでしょう。

長らくオートマティックの操作ミスと言われていた始動直後の急激なバック事故や、アクセルとブレーキを間違えたとされる事故が相次いでいましたが、それらがドライブレコーダーの標準化によって運転者のミスなのか、自動車メーカーの設計ミスなのかが記録されてしまいます。

自動車メーカーとしては、これまで適当に運転者の責になっていた事故の責任を負わされる可能性があります。

だからメーカー標準品として、ドライブレコーダーを付けたくないわけですね。

しかし、これほど注目を浴びて装着率が高くなっていますから、これからは標準装備化が否応なしに進められることでしょう。

自動車メーカーは、製品の品質データーが自動的に集められる機会と覚悟して、積極的に装備の充実を図っていただきたいものです。

リチウムイオン電池はリサイクルできない!

ちょっと前に東京の街なかで、電動アシスト自転車が燃え上がっているニュースがありました。

日常生活に溶け込んでいるリチウムイオン電池が、ひょっとしたことから火花が出ると、あっという間に燃え上がってしまうことを思い知らしめた事件でした。

これまでにもノートパソコンの電池が燃え上がる事件はたくさんありましたが、さらにワイヤレス機器が増えていますから、リチウムイオン電池の利用はますます増えていることでしょう。

更に、BEVと称して大容量のリチウムイオン電池を搭載した自動車が増えてきていますから、リチウムイオン電池の消費量はうなぎのぼりで、さぞかし大量の使い古したリチウムイオン電池の再生処理工場が繁盛しているのでしょう。

と思いきや、リチウムイオン電池の回収をしても結局焼却するしかなく、その結果リチウムなどの希少金属を回収するどころか、廃棄物として処理するしかないらしいです。

使用中でさえ火花が散ったら処置できない危険物ですから、安全に分解して再使用できる状態でリチウムなどを取り出すことは困難だということでしょう。

もちろん再資源化ができる方法を探ることはしているのでしょうが、現実的には焼却処理が基本だということのようです。

さらに悪いことに、回収するにも電池メーカーが主体となっていて、得体の知れないサードパーティ製の電池は回収さえしてもらえないらしく、かと言って生ゴミで排出するとどこで火を吹くか分からないという厄介者!

よくこんな危険で省資源でない製品を世の中に出したなと、今更ながら開発者の先見性のなさに呆れます。

製品として世界に供給するのなら、回収や再資源化まで考えて地球環境に対する影響を考慮するべきで、開発時にSDGsという考えが未発達だったとしても、すでにニッケルカドミウム電池が2次電池として環境問題を抱えていたのですから、もう少し賢く開発するべきでした。

さて、各家庭で眠っている使用済みの、しかも劣化した太ってしまったリチウムイオン電池はどうしましょうか?

あと数年もすれば、劣化して爆発するリチウムイオン電池による火災や汚染が、日常茶飯事になるかも知れません。

とりあえず今できることは、安定した再資源化の方法が実用化されるまで、これ以上リチウムイオン電池を使う製品を増やさないように、心がけるしかありません。(すでに遅かったかも知れないけど。)

愛知県警の失態

スラドで読んだ呆れた事件。

愛知県警でパトカーと民間人の車が衝突した際、パトカーは緊急自動車としてサイレンを鳴らしていなかったにも関わらず、鳴らしていたと虚偽の主張をした上で、証拠として提出されたドライブレコーダーの音声データを偽造していたと言うニュース。

開いた口が塞がらないとはこのことで、昔からある警察不信が再燃することは間違いありません。

その警察の悪巧みを暴いたのが東大理学部卒の裁判官と言うのですから、既に新ドラマの構想に入っているプロデューサーも居そうな気配です。

裁判官がドライブレコーダーの音声バイナリーデータを調べて、デジタルデータとして論理的に揃いすぎていると指摘したことで、愛知県警が嘘をつき通すことを断念したということです。

こんな裁判官が多くなれば、世の中がもっと明るくなりそうです。

裁判は、あくまで原告と被告が嘘をつかない前提です。(つまり性善説!)

提出された証拠や証言に嘘やインチキがない前提ですから、時として「その証拠ありえへんやろ」みたいな裁判がまかり通っています。

裁判官は、嘘を見抜くより数をこなすことに必死で、「悪を法で裁く番人」ではなく、「出来高を稼ぐ単純作業員」に落ちぶれています。

今回の愛知県警のあくどさとお粗末さにはたまげますが、この判例を見習ってまともな裁判を目指してもらいたいものです。

「何、控訴しただと?」

愛知県警はさらに醜態を世間に晒すのでしょうか?