マイナカードを他人に渡して大丈夫か?

健康保険証をマイナカードと統合する話が、その後少しばかりトーンダウンしながらも、あくまで初志貫徹しようという姿勢が見えています。

マイナカードにこれからも色々なものを統合しようとするときに、それを他人に渡して平気なものなのか正しく判断しないと、マイナカードがとてつもなく使いづらいものになってしまう可能性があると思います。

例えばあなたが店で買物をするとき、あなたのクレジットカードを受け取った店員がそのまま店の奥に入ってしまって、しばらく戻って来なかったらどうしますか?

何かのたくらみがあってクレジットカードの情報を読み取っていないか、心配になるでしょう。

昔の海外旅行では、よく不正の手口として店の奥でクレジットカードのエンボスが余分にコピーされて、後から不正な請求がされるのを注意しなさいとよく言われたものです。

あるいはATMで、カッシュカードや通帳が機械に吸い込まれるのが不安に思ったことはありませんか?

まさか財布を他人に渡して目を離すことはしないと思いますが、クレジットカードや健康保険証や免許証などは、それを提示する相手として相応しい人に対して、自分の目前で見せる事はあっても、そのまま預けて後から返却される性格のものではありません。

今、健康保険証が統合されるかどうか揉めていますが、医療機関で健康保険の資格を証明するために渡すのは必要だとしても、それ以外のマイナカードに統合される(されるであろう)免許や銀行カードや住民票や税金関連の情報につながるコードが入ったものまで渡す理由がありません。

つまり、マイナンバーにそれらの情報を紐付けるとしても、それを一つのカードですべての場面に利用するのには無理があるのではないでしょうか?

そして紐付けるだけなら別にマイナカードは必要なく、これまでのようにマイナンバーを健康保険や銀行口座に紐付ける活動を地道に続けるだけで十分のような気がします。

以前にも書きましたが、健康保険証は医療機関で提示するだけでなく、スポーツクラブや旅行会社などで福利厚生を利用するために、健康保険組合員であることを証明するためにも使いますから、その度にマイナンバーを晒す危険を冒す意味があるでしょうか?

政府は個人情報保護法を改正しながら、適切な個人情報の管理を目指しているにも関わらず、不用意に色々な人の手に渡るマイナカードに貴重な機能を集約するという、利便性や合理性を無視した方向に進もうとしています。

マイナカードの意義、目的をもう一度見直して、負の遺産を残さないようにしてもらいたいものです。

転んで火傷では怖くて歩けない

Yahooニュースに掲載されたCNNニュースによりますと、アメリカで気温の上昇に伴い、転けただけで重度の火傷を負う事故が増えているそうです。

日本でも「犬の散歩は肉球の火傷に注意しましょう」という話がありましたが、アメリカでは気温が48度にもなって、その時のアスファルトは80度を超えて、一瞬皮膚が触れただけで火傷を負ってしまうそうです。

それにも増して車椅子から介護者が転げ落ちた場合など、すぐに立ち上がれないケースでは、ICUでの処置が必要になるほど重症化するらしく、地域の病院では病床の多くが火傷患者で埋まっているそうです。

日本でも、気象予報で35度を超える日は戸外でも運動や外出を控える警告が出されますが、転けただけで大火傷となれば、本当に屋外に出ることを避けなければならないでしょう。

数年前までは、異常気象は世界の一部の地域だけ高温になって他の地域は低温や多雨になることが多かったのですが、最近は世界的に一気に高温になるケースが増えてきたように思います。

さすがにここまで世界的に暑くなれば、温暖化は自然現象のばらつき程度のものだと楽観視する意見は過去のものとなり、一気に地球温暖化について諦めムードが漂っています。

かと言って世界中の人が月や火星に移住できる訳もなく、現状の一向に本気にならない温暖化対策では歯が立たないことも、ようやく認識され始めたというところです。

科学や技術で対策できることは限られていて、機体の核融合が登場するのを待っているだけでは間に合いそうもありません。

ここは、考え方を変えるだけで価値観がごろっと変わる、社会科学の出番ではないでしょうか?

過去の歴史で、世界観が変わる節々で価値観が大きく変わっている事があり、それに比べて科学の進歩は相対的に遅いです。

地球環境を短期間で大きく変えるには、社会の仕組みを変えて新たな価値観による経済活動を創出する以外に、救う道はないのではないかと思います。

世界会議で温暖化を技術的に解決しようとして成果が出ない今、社会科学に人類を救う番が回ってきたのではないでしょうか。(別に人文科学がやってくれても良いのですが。)