最近のニュースで、男女が分かれている競技でトランスジェンダーの参加はフェアかどうかとか、心の性と体の性のどちらを優先してトイレや公共浴場を利用したら良いかなどの議論が目立ちます。
その中ではまだ結論がはっきりと出ていないものが多く、更に多くの議論が必要だということに気付かされます。
どちらかと言うと、色々な考えがあってそのすり合わせをしていると言うより、考え方の前提が様々であって、そもそも議論に至る前に噛み合っていない感じがします。
スポーツ競技の場合は公平であるかどうかが焦点になるでしょうし、公共浴場の場合は利用者が互いに安心して利用できることが求められるのですが、それぞれの前提になる考え方に幅がある上に、当事者とそうでない人の間にもかなりの温度差があるように思います。
また、LGBTQと一緒に論じることが多いのですが、LGBTQそれぞれの人たちを一緒に論じることが正しいのかどうかという疑問がつきまといます。
これまでは心と体の性が一致していると決めつけて2種類に分けていたら良かったところが、心と体の組み合わせで4種類になったと言うだけなら、比較的簡単に対応できるのかもしれません。
しかし、実は組み合わせが4通りどころではなく、心と体と性的指向で8通りになり、それ以外に肉体的特徴や心と体にも様々な程度の差があって、そう単純に型にはめてパターン化できるほど単純ではないことが分かってきたという段階ではないでしょうか?
スポーツ競技においては、いくら心と体が女性だとしても、長年鍛えた筋肉があるとフェアでないと言うのも頷けます。
性的マイノリティを表す言葉としてLGBTQと表現するにしても、実際の問題については、もっと細分化して考えていかなければならないように思います。
SF映画で描かれる未来では、男も女も、人間もロボットも、地球人も宇宙人も通りを行き交っていますが、いったい未来の公衆トイレはどうなっているのか知りたくなります。(そもそも未来では誰もトイレには行かない?)
それまでは、知恵を絞って多様化に対応していかなければならないのでしょうね。