「食塩水の濃度」を計算できない訳

東洋経済ONLINEに、「大学生が”食塩水の濃度”を計算できない驚く事実」という記事が掲載されています。

食塩25gを水100gに溶かしたら、何パーセントの濃度の食塩水になるかという問題に、正しい答えである20%ではなく25%という答えを出す大学生が多いのは、公式の暗記に頼った教育の問題であると述べています。

まあ、正しい答えを出すだけなら別に公式丸暗記でもよいと思いますが、公式の丸暗記が時間の経過とともにうろ覚えになってしまうのは致し方がないことでしょう。

それよりも、普段一般人が使いもしない食塩の濃度を、教わってから何年も経って正しく回答できることが重要でしょうか?

薬剤師や食品関係者ならば、正確な濃度の計算を日常的に業務として行っているのでしょうが、小学校以来使いも聞きもしない食塩水の濃度の問題を、大学生が解けないことがそれほど問題だとは思いません。

小学校で習ったことを全て覚えているほど、大学生や大人は記憶力がよくありません。「まあ、そんな問題もやったことがあったかなぁ」程度に覚えていれば、説明を聞けばすぐに正しい答えを導くことができるのではないでしょうか?

記事では、公式の丸暗記が小学校教育の問題点であると書いてありましたが、そもそも小学校の先生が教本丸読みで、溶液の濃度について十分理解していないのではないかと思います。

理科なら理科を理解している教師に、国語なら国語を理解している教師に教わるべきで、理解のない教師から理解のある生徒を期待することはできません。

小学校教育に問題があるとしたら、まず教師の資質から正さなければならないでしょう。(と言われながら何十年も改善しないので、期待するのは無理なのでしょう。)

ところで、日常的には食塩はひとつまみ単位で計るので計算は必要ありませんが、大人に必要な濃度計算は何と言ってもアルコール度数でしょう。(酒飲み限定)

さて、以下の問題は解けますか?

アルコール度数5%の500ml缶ビールが1本あります。その中に含まれる純アルコールは何グラムですか?

500mlの5%なら 500ml * 0.05 = 25ml だから、アルコールの比重の 0.8g/ml を掛けて 25ml * 0.8g/ml = 20g で答えは20g です。

最近、健康に害を及ぼさない飲酒量が、1週間あたり純アルコール量で140gという説があり、正確にアルコール飲料中の純アルコール量を計算することが必要になっていて、上記の計算では1週間に7本飲んでも健康には害がないということになります。

ところが、小学校でこんなことを習った記憶はありませんか?

水とアルコールを混ぜると体積が減る。

水の分子の間にアルコールが入り込んで、水100mlとアルコール100mlを混ぜても200mlにはならないのです。

そうすると、5%のビール500mlは、25mlのアルコールと475mlの水(いやビール成分を含む液体)が混合されているわけではなく、実はアルコールは25mlより多いのではないかと思ったり、そもそも5%の度数は重さと体積のどっちなのかという疑問が湧いてくるわけです。

製品にはばらつきがあったり、製造工程でも5%や10%程度の測定誤差がありますから、細かいことを言っても仕方がないのですが、濃度の計算は思ったより複雑で奥が深いようです。

アルコール飲料の濃度に関しては、どこかのメーカーサイトにアルコール濃度の表示に関する規定を解説したページがあったのですが、読んだときは理解したのですがすっかり忘れてしまいました。

まあ、アルコール量を計算できなくなるほど飲むことが、健康を維持する秘訣だと言っておきましょう!(酒飲みの戯言)

企業の英語公用語化

企業の社内言語を英語に統一する動きが、また活発化して第2波が始まろうとしているというニュース。

海外から採用された従業員が増えてくると、予め英語を基準にして社内規定や手続きを作成していた方が効率的でしょう。

如何に中国人が世界のビジネス現場で席巻しているとはいえ、彼等も英語には不自由しませんから、どれか一つの言語と慣ればビジネス的には英語一択。

ましてや日本人は小学校から正規の教科として採用していますから、「ビジネスで英語を使うなんておちゃのこさいさい、言われんでも英語で仕事できるわ!」となるところですが、そうは問屋が卸さない!

実用的な英語が身についていないとは長らく言われ続けていますが、何十年も経ってもまだ英会話教室がCMあたりを流しているところを見ると、まだ発展途上というところですか。

しかし、考えてみれば、海外から優秀な(優秀でなくても)社員が来たり、海外との協業で否が応でも英語で話さないといけない環境なら、多少の上手い下手はあっても、少し時間をかければ英語に馴染んでくるものと思うのですが、それでは生ぬるいでしょうか?

もし業務で英語を使う機会が少なくて(会話でも文章でも)英語が上達しないというのなら、その職場はさほど英語を必要としていないのではないかと思います。

よく海外の大学に留学して1年とか2年経って日本に帰国したときに、思ったほど英語が上達していない人がいますが、それは海外にいても英語を使わずに住む環境にいたからで、本当に英語を話さなければ生活ができないとしたら、英語が話せるようになるか途中で諦めて帰国するかでしょう。

ですから社内公用語を決めるとしたら、社内の書類的なものを英語化するかどうかだけが重要であって、業務上一番効率が良い言語を使うのが正しいように思います。

日本人同士が英語を無理に使って仕事の効率を下げるほど、業績に余裕がある企業はないのではないかと思います。

社内業務に英語を使った方が効率が良ければ英語で仕事をする。日本語が良ければ日本語で仕事をする。

要は業務の評価を正しくする仕組みがないところに、真の問題が潜んでいるのではないでしょうか?

アルパを極める

最近は何でもパフォーマンスを求める傾向があります。

日常、スマートホンによって情報が溢れているため、それを処理するのに追われて時間が足りない人が増えております。

そこで、時間を効率的に使おうと「タイムパフォーマンス」(タイパ)なる言葉が出てきて、まさに「タイム・イズ・マネー」の様相を呈しております。

なんでも「パ」を付ければ効率を目指せるのなら、効率よくアルコールに酔えるアルコールパフォーマンス(アルパ)もありかなと思うわけです。

最近はアルコール度数9%のチューハイは当たり前のように売られていて、もはや市場では一定の支持を得ているようでありますが、「せんべろ」と言ったりもして、安く酔える方法を追求する人もそれなりの多いのではないかと思います。

まあ安く酔えればよいだけなら別にコスパで片付けても良いのですが、あえてアルパなる言葉を提案してみる訳です。

つまり、コスト以外にもアルコールならではの観点があるのではなかろうかと思うわけです。(「安く」だけでなく、「早く(速く)」、「うまく」、「おいしく」、「心地よく」、「漂いながら」、「夢心地で」などなど)

しかし、こればかりはその地方、その地域ごとに安売りの店があったりしますので、一概にどの商品がアルパが高いとは言い切れないのでありまして、具体的なアルコール1gあたりの金額を並べて比較することはあまり意味がなかろうかと思います。

ただ一般的にアルパが高いだろうと思い出すのは、ペットボトル入りの焼酎やウィスキーの類いで、もう燃料かと思うぐらいの大きなボトルで売られているものが如何にも安そうに思われます。

ただ、焼酎やウィスキーでもアルコール度数が高くなるにしたがって値段も上がる傾向があり、やはりアルコールを穀物などから発酵させて作り出すには、時間と労力がかかるのだということを実感するわけです。

で以前、地元のスーパーで実際に売られている価格で、いろいろなお酒のアルパを計算したところ、大きなペットボトルの焼酎やウィスキーに比べて、500mlアルミ缶の9%チューハイがほぼ同等のアルパを発揮した事がありましたので、それ以降あまり考えずに9%缶チューハイを愛飲しておりました。

チューハイには合成甘味料が入ったものも多く、後味が引っかることと腸内環境に良くないという指摘もあり、できるだけドライで甘味料が入らないものを求めておりました。

しかし、そろそろ飽きてきたこともあり、先日スーパーで他のお酒を物色しておりましたところ、ジンとかウォッカで高アルコール度数で安いものが目についたのです。

スミノフは、ウォッカで40%程度の度数で値段も安いのですが、生産国はイングランドのようですがラベルにロシアの文字があって、戦況に影響を及ぼしたら嫌なのでパス。

するとそのすぐ横に、同じくイングランド産のジンが並んでいて、値段も安いのですが度数がなんと50%と書かれています。

ジンといえば、癖の強い風味が特徴という先入観がありましたが、最近はそれほど癖が強いわけでもなさそうですし、何と言っても50%は魅力的! (5倍に薄めても10%もある!)

元々イギリス原産ということですから安心して飲めますし、アルパも9%チューハイに匹敵できるのではなかろうかと。

次回買おうと思います。(まだ買ってないんかい!)

マイナンバーカードとデジタル化

マイナンバーカードの普及を進めれば進めるほど、システムの不備が発覚する毎日です。

健康保険証の機能を取り込もうとすると、健康保険被保険者番号との連携に間違いが見つかり、公金の受取口座として個人と1対1に紐づいた銀行座を期待したら、家族で同じ銀行口座を指定していることが見つかったり。

どうやら住所もかなり怪しいらしく、そもそも住所システム自体がカオスであり、住居表示と地番表示が地域によって統一されていなかったり、同じ住所の漢字の読みが何通りもあったり、同じ地番に複数のビルが建っていたりと、よく郵便屋さんが毎日間違えずに配達しているものだと感心したり、誤配があるのも当然と思ったり。

そもそも地名なんて勝手に住んでいる人がローカルに通じれば良いと考えて、自然発生的に決めたものですから、全国で一意的に定まるわけがありません。

名前の漢字や読み方が戸籍によってまちまちで、昔、戸籍を筆で書いたときに落ちた墨がそのまま「点」として新しい漢字が生まれたという話があったりして、これではアナログと言うよりアートです。

このままアナログ的な住所や氏名を相手にしていては、いつまで経ってもデジタル庁の名に相応しいマイナンバーカードが完成しないのではないかと思います。

氏名や住所のデジタル化が容易でないなら、マイナンバーカード上では実用上支障がない程度のゆるい結合にとどめて置くのも一計かも知れません。

デジタル庁ではAIを使って住所のゆらぎを取ることまで検討しているそうですが、住所自体が揺らいだままでは将来また別の問題に悩まされることになりかねませんから、AIでゆらぎを取った住所をデジタル住所として公式のものとして、歴史的な住所は通称として残すのも良いかも知れません。

このまま突破力でマイナンバーカードをまとめ上げることができるか、マイナンバーカードとともに吹っ飛んでしまうか、デジタル庁は今が正念場かも知れません。

ボールガールの涙で失格?

全仏オープンほどの大試合でも、判定に批判が集まる失敗があるのですね。

どうもボールガールの涙が大きく判定に影響しているように思われますが、これからはサーブほどの勢いでテニスボールが当たっても平気なぐらい、フルフェースヘルメットとプロテクターを装備すると良いかも知れません。(現実的でないので却下!)

そもそも審判以外にスーパーバイザーやレフェリーが登場して、誰がこの事態を収集する権限があるのかさえわからなくなっています。

さらにこのトラブルの当事者は、ボールを返球した選手とボールガールであり、事実関係をは愛苦するのに対戦相手は全く関係がありません。

最終的な判定の前に、当事者以外と話をするのはご法度です。たとえ何も話していなくても、影響が出る可能性が少しでもあれば接触してはややこしくなるだけです。

近年、スポーツ界の判定にビデオ審査が入ったり、カメラでイン・アウトを判定したりして、かなり安心してみることができるようになりましたが、今回のような試合内容とは少し離れたところで起こったことについては、合理的に判断する方法がないのでしょう。

ただし、即失格にしなくてはならないほどの重要な決断を下すのなら、サーブが入った入らないの判断にカメラを導入する以上に慎重に状況把握を行い、誰もが納得できる判定を説明するようにしなければならないでしょう。

ニュースではボールガールが泣いている姿が映し出されていましたが、もし忍耐強くて一滴も涙を出さなかったとしても、スポーツの判定としては不動のはず。

しかし、どうも今回は対戦相手のクレームにさえも影響されたということですから、全くアナログ的に判定を下しているように見えました。

ルールがあってそれを忠実に守ってこそスポートが成り立ちます。しかし、考えてみればテニス競技は紳士的なのでしょう。

日本の政治にはルールがあるの? ルールを守ろうとしているの?? ルールを破ったらどうなるの???