駅のコーヒースタンドは流行らないのか?

阪急・阪神電車がかなり積極的に推進していた、駅ホームの影スタンドが撤退するらしいです。

数年前からかなり強引に、駅の空いたスペースにネスカフェのコーヒースタンドを展開していました。

当初は割引付きの回数券につられて利用客はそこそこあったようですが、回数券の期限が切れた頃から、手持ち無沙汰にする店員さんの姿が電車に乗るたびに見えていましたから、そろそろ引け際かなと思っておりました。

コーヒースタンドの需要は、スターバックスから始まってコンビニに飛び火して、その後から駅ナカに展開したのですが、思ったようには行かなかったようです。

スターバックスには、忙しい中のひとときを過ごす空間がありますし、コンビニには昼ごはんやスィーツなどと一緒にコーヒーが必要です。

しかし、駅のホームでコーヒーだけを飲んで暇をつぶすには、10分も待たずに次の電車が到着しますし、ただコーヒーだけではいくらスマホがあっても手持ち無沙汰で、日本人にはそれほどカフェイン中毒が溢れていなかったということでしょう。

大きく当てが外れたということでしょうが、組んだ相手がコーヒー専業のネスカフェだったのも不運だったのでしょう。

他に提供するファーストフードなどがあれば、朝ごはんの代わりに利用する人もあったでしょうし、おやつのスィーツなどで話題になるようなものが提供できれば、また違った展開になったのかも知れません。

熟練のコーヒーマイスターが入れるのでもなければ、自動販売機とあまり変わらず、確かにコーヒースタンドのあとには自動販売機が2台並んで設置された駅がありました。

海外では街角にコーヒースタンドがあって、常に人が入り乱れて賑わっているイメージがありますが、忙しく電車が到着する日本の駅では、コーヒーを飲むスタイルと一致しなかったのかも知れません。

では、なぜ立ち食いそばが駅にあるのかって?

コーヒーはなくても困りませんが、腹が減った時の早食いそばは必然なのです。

スーパーコンピューターの日常度

スーパーコンピューターと言えば、「一番でなければなりませんか?」で一躍一般に親しみのある存在になりました。

確かに富士通の京や富岳が世界一になったのですが、世界一だからといって世界中から注文が殺到したとい言う話はなく、世界一になって「注目はされど、注文が来ず」と言ったところでしょうか。

以前、富士通に長く勤めた人と仕事で一緒になった時、富士通のCMOS技術によるスーパーコンピューターは、社内でも特殊な部隊で営業に目標があるわけではなく、利益度外視でやっている看板みたいなものだと言われていたことを思い出します。

スーパーコンピューターといえば、最近では新型コロナ禍のくしゃみ飛沫のシミュレーションが有名になりました。

これによってマスクの有効性が国民に知れ渡り、その後のマスク生活が定着するきっかけになりました。しかし、飛沫の軌跡についてはそれまでの常識を大きく外れることはなく、思っていたとおりに結果だったという印象があります。

くしゃみのシミュレーションをスーパーコンピュータで実行するというと、さぞかし理論的な計算に基づくものと想像してしまいますが、(実際は知りませんが)おそらく数多くの前提条件(Assumptions)が用意されていて、身長や肺活量、気温や気圧、口から出る呼気の初速度、鼻の穴の大きさ、口の中の唾液量、部屋の中の空気の流れ等、設定によって結果が大きく変化するような条件がたくさんあって、とんでもない結果が出たときはそれらを調整して、当たり外れのないような結果が出るようにしていたのではないかと勘ぐってしまいます。

最近では台風の進路を、世界中の研究機関が予測して地図上に軌跡を描いていますが、あまり突拍子もない結果はなく、概ね傾向が似ているのは、シミュレーションの精度がどれもよくて似たような結果になってしまうのかも知れませんし、突拍子もない方角に行かないようにパラメーターの設定で押さえつけているのかも知れません。

要するにスーパーコンピューターで予測をしても、あまりにも奇抜な結果には、世間が拒否をしてしまうのでしょう。ある程度根拠がありながら、奇抜すぎない結果が望まれているのです。

くしゃみの飛沫もそうですが、昔から予想していたのと同じ結果だとしても、スーパーコンピューターで予想が正しかったことが証明されるところに意義があるのでしょう。

「それでも地球は回っている!」みたいな常識を覆す新発見があっても、常識に沿った結果が出るように条件をいじってしまい、スーパーコンピューターから世紀の新発見が生まれるのは意外と難しいような気がします。

くしゃみ飛沫のシミュレーションのように、日常の出来事を証明していくことも地味ですが必要なことなのかも知れません。