ところで個人と銀行口座は紐づいていましたっけ?

マイナンバーカードに紐付けられた銀行口座が、本人名義でないものがかなりの数に上っているという問題。

家族が意図的に都合が良いように、家族間で銀行口座を使い回しているケースもあったということですから、家族で家計を一括して管理する日本的な風潮が残っているのでしょうか?

中には子どもに入金される公金を、親が使い込むために子どもの口座をわざと指定しないケースもあるようです。

そもそも長い間、銀行口座を新規に作るときに本人確認などしなかったですから、実在しない名前で口座などいくらでも作れていました。

マイナンバーカードを利用するからと行って、勝手に政府が厳密に個人に一つの銀行口座が紐づいていると仮定しても、思ったとおりに事が運ぶとは限りません。

人や家族によって、それまでの長い間使い慣れた方法というものがありますから、既存の銀行口座で個人の公金を管理することに無理があったのかも知れません。

いっそのこと、マイナンバーカード専用に全く個人に一対一で紐づいた証明付きの口座を新規に作成して、マイナンバーカードの関する入出金を全て一括で管理すると良いのでしょうか?

しかしそうすると、マイナンバーカードで既存の銀行口座を掘り起こそうとする政府の思惑が外れてしまいます。

まあ、ほとんどの日本人と銀行口座が完全に1対1に紐づいたものになるまで、おそらく20年ぐらいかかりそうですが、マイナンバーカード運用に支障を来しながらだましだまし運用していくことになるのでしょう。

マイナンバーカードのシステムに、個人個人で勝手に管理してきた銀行口座を流用しようとしたのがそもそもの誤りだったのでしょう。

マイナンバーカードより先に、官営口座を整備しておく必要があったのかも知れません。

ひょっとして、健康保険も新規に官営で設立する必要がありますか?

政治と宗教は話題にできない

よく話題として、政治と宗教は相応しくないと言われる場面があります。

就職の面接でもそうですし、仲間内の他愛のない話題としても相応しくないとされています。

それだけ結論が出ない話題であるのですが、簡単に結論が出てはかえって困ることにもなりそうです。

宗教的なテーマは、数々の映画で長年に渡ってテーマにされてきましたし、だからといって結論が出たという話は聞いたことがありません。

つまり宗教的な話題には結論が出ないのが常でありまして、それほど根が深いテーマだということに世間の理解が一致しているわけです。

政治の世界においても、そもそも論理的に話し合えば結論が出そうなものですが、論理的な結論は一向に見えてこない傾向があります。

それほど政治の世界が奥深いとは思えないのですが、底が見えない井戸のように奥がどうなっているのか一向に見えません。

単に濁っているだけで、意外と底が浅いのかも知れません。

これらのように、あまり世間には晒してはいけないという習慣があると、如何にもたいそうな難しいもののように思えてしまうのですが、本来は明瞭完結に説明できるものでなければならないはずです。

人々の生活を快適に豊かにするのに、それほど複雑な方程式を解かなければならないほど、社会は複雑なはずがありません。

単に凡人に分かりにくくしてごまかすために、ややこしい制度を作りまくっているだけ。

で、政治や宗教を話題にしてしまうと喧嘩(戦争)になるのは、本質が論理的な議論では結論が出ないほど非論理的であるということに他なりません。

ですから、話題にしてはいけないのです。

心の支えというのはそんなものです。ナンノコッチャ?