政治と宗教は話題にできない

よく話題として、政治と宗教は相応しくないと言われる場面があります。

就職の面接でもそうですし、仲間内の他愛のない話題としても相応しくないとされています。

それだけ結論が出ない話題であるのですが、簡単に結論が出てはかえって困ることにもなりそうです。

宗教的なテーマは、数々の映画で長年に渡ってテーマにされてきましたし、だからといって結論が出たという話は聞いたことがありません。

つまり宗教的な話題には結論が出ないのが常でありまして、それほど根が深いテーマだということに世間の理解が一致しているわけです。

政治の世界においても、そもそも論理的に話し合えば結論が出そうなものですが、論理的な結論は一向に見えてこない傾向があります。

それほど政治の世界が奥深いとは思えないのですが、底が見えない井戸のように奥がどうなっているのか一向に見えません。

単に濁っているだけで、意外と底が浅いのかも知れません。

これらのように、あまり世間には晒してはいけないという習慣があると、如何にもたいそうな難しいもののように思えてしまうのですが、本来は明瞭完結に説明できるものでなければならないはずです。

人々の生活を快適に豊かにするのに、それほど複雑な方程式を解かなければならないほど、社会は複雑なはずがありません。

単に凡人に分かりにくくしてごまかすために、ややこしい制度を作りまくっているだけ。

で、政治や宗教を話題にしてしまうと喧嘩(戦争)になるのは、本質が論理的な議論では結論が出ないほど非論理的であるということに他なりません。

ですから、話題にしてはいけないのです。

心の支えというのはそんなものです。ナンノコッチャ?