借金は財産である!

昔、住宅購入のために銀行ローンを組もうとすると、「借金は財産である」とよく言われたものです。

借金は信用がなければできないから、借金がたくさんあるほど信用もたくさんあるということだ、などと言われていました。

まあ、これもバランスが取れているうちはよかったのですが、そのうち実力以上の、それは個人的な実力だけでなく日本経済としての実力も含めて、貸出が常態化するに至って焦げ付きが増えてしまったようです。

で、どうして現在の経済は借金まみれなのかということを、わかり易く解説した記事が東洋経済オンラインに掲載されています。

「わたしたちの経済はなぜ借金だらけ」なのか」という記事には、銀行の業務を椅子取りゲームに例えて、限りのない椅子取りゲームを続けなければならない現代の経済システムを説明しています。

分かりやすく説明していると書きましたが、私が理解できたのはその一部であって、現代の経済システムを一旦崩壊させて、新たな経済圏を立ち上げるという壮大な話に繋がっていきます。

確かに90年代に日本でバブル経済が弾けたときに、誰しも自由経済を自由に任せていたらこうなるのかと思い知ったわけですが、バブルなどという軽薄な言葉で片付けられて本当の問題点を隠してしまいました。

東西ドイツ統一で資本主義経済が勝利したように見えましたが、実は資本主義経済も崩壊しかかっていたのでしょう。

借金を必然とする経済成長がなければ成り立たない市場経済は、自然の恵みとその浄化作用を超えて成長しようとするために、地球温暖化や資源の枯渇を招いて環境を破壊しています。

記事では、地球を破壊し尽くす前に、新しい継続可能な経済体系を世界的に構築して、地球の自然が制御できる程度の、成長を目指さないが幸せに導ける経済活動を目指さなければならないと結んでいます。

薄々、経済活動が行き過ぎているのではないかと感づいている人もいるのではないかと思います。SGDsという言葉が盛んに叫ばれていますが、今の経済活動からはSDGsに結びつく要因は見当たりません。

地球温暖化や貧富の差、はたまた少子化まで、すべて現代の経済活動が生み出した歪と考えれば、新しい経済体系の誕生によってすべての問題が一気に解決するのかも知れません。

年金は2階建て?それとも屋根なしの平屋?

近年、老人の貧困が問題になることが多くなっています。

バブル経済の頃は「定年後は家族揃ってハワイ旅行だ!」なんていう話がまかり通っていて、現にそのようなテーマのドラマも数多く作られていました。

ですから、その頃に子供だった人からすれば、人生設計をそのようなものだと信じて、安易な生活を繰り返してきたとしても仕方がないかも知れません。

バブル経済当時に定年を迎えた人たちは、日本が貧しいときに成人して、それ以降働けば働くほど給料が増えて、退職金も想像以上に手に入った時代に生きていました。

安い値段(買った当時は高かったにしても)で買った住宅は、建物が古くなって価値がなくなったとしても土地の価値が数倍にもなりましたから、不動産を買って資産が増えることはあっても減るなんてことはなかったのです。

およそ経済という言葉が日本で使われるようになってから、ずっと拡大傾向が続いてきましたから、過去より今の方が必ず裕福になっていて、しかも日本中の人が皆中流気分を味わえる程不自由がなかったのです。

しかし、バブルが弾けると一変し、よほど知恵がある経営者以外は落ちぶれていき、よくて現状維持、悪ければ撤退・倒産するような産業や企業が増えていったのです。

過去と同じつもりで住宅を購入してしまうと、年月が経つと明らかに資産価値が目減りするにも関わらず、住宅価格の高騰から高額のローンを長期間かけて返済する義務が生じてしまいます。

そこに期待したほど退職金がないとなり、更には年金も生活に足りるほどではないことが定年間際にわかったとしても、もう対策の施しようがありません。

政府は、老後資金は投資で貯めようなどと呑気なことを言っていますが、投資は賭けですから、スッテンテンになるリスクを負える人以外は手を出してはいけません。

生活費のための投資などあり得ない!

このように見ていくと、よく日本の年金制度は2階建てやら3階建てなどと説明されていますが、せいぜい屋根のない平屋程度だと考えるべきで、雨露をしのぎたければ屋根を作れるぐらいの自己資金を貯めておかなければならないということです。

最近も「年金制度は2階建て」という説明が積極的にされているかどうか分かりませんが、借金にまみれた政府の言うことを鵜呑みにせず、無駄遣いはせずに、せっせと老後に備えて貯蓄と学習に励みましょう。(学習ってなんだ?)