踏切前の窓開け?

自動車運転中踏切を渡る前に、窓を開けるように教習所で指導されているらしいというニュース。

昭和の時代にはそのような指導はなかったという記憶ですが、どうも目と耳で列車の接近を確認してから踏切を渡るためらしいです。

昭和の時代の自動車といえば、カーエアコンがそろそろ普及しだしたという頃で、カーオーディオはまだ序の口。それ故に暑ければ窓全開が当たり前です。

ですから車の内と外の区別がないぐらい一体感がありましたから、列車の接近なんて体で感じることが出来ました。

最近は、エアコン完備でカーオーディオが吠え続けていて、おまけにカーナビが合いの手を入れます。

窓を開けていなければ、車の外で何が起こっているかなんか分かりようがありません。(これは電車でイヤホンをしている人も同様!)

ですから踏切で警報機がなっているかどうかを確認するために窓を開けろということなのでしょうが、そもそもそれほど真剣に車の運転をしている人はいませんから、踏切で列車の確認をすることの意味を教えるところから始めなければなりません。

ところで、私が小学生の頃は(総和40年代)踏切ごとに踏切番の人がいる小屋があって、列車の到来を知らせるブザーにしたがって踏切棒の上げ下げをしていました。

そのような状況でしたから、踏切番の人がサボった途端衝突事故が起こりますから、踏切での一旦停止が必須でした。

今や自動的に動作する踏切がほとんどですから、信号の青で進んでも良いのと同じように、踏切が下りていなければ一旦停止しないで進んでも良さそうなものです。

米国では、踏切が閉じていなければ一時停止せずに進行してよいのですが、その代わり踏切が動作しているときは、列車は猛烈に汽笛を鳴らしながら徐行して踏切を進んでいきます。

デフォルトが車か列車かによって優先されるものが変わるようです。

日本でも踏切が列車の接近をしめす警報を鳴らしていないときは、一旦停止なしに通過できるように法律を変えてもよさそうなものですが、日本人は信号無視に近い無理に突っ込む習性があると思ってか、常に一旦停止することがルールになっています。

それどころか、窓を開けて踏切が壊れて警報がなっていなくても、列車の音を聞いて判断しましょうという念の押し方。

日本人は本当に安全志向です!(本当かいな?)

コンビニ年齢確認騒動

動画が拡散して炎上しているとのこと。炎上していたのはインターネット上というよりは、当の本人だけのようですが、、、

セブンイレブンでタバコ購入時の年齢確認で、20歳以上の確認ボタンを押すことを要求されて、どう見ても20歳に見えない年寄りなのに、杓子定規に確認ボタンを押すことを要求するとは何事だということのようです。

他の東京の繁華街のコンビニでは、同じケースの場合店員が勝手に20歳以上のボタンを押してくれていたみたいで、そのぐらい気を利かせてやるのが当然と思い込んでいて、その店員は頭を使って機転を利かせるべきだと主張しているみたいです。(機転が必要なほど高度でもないが。)

言われ続けている店員さんが可愛そうではあります。

ネパール人とおぼしき客の態度は明らかに暴力行為でありますが、器物の損害や怪我を与えない程度に暴れるのは国民性でしょうか?

それを知ってか店員さんが意外と冷静なのが立派。さすがセブンイレブンです。

どうも暴れた客は自称60歳らしいので、20歳の確認ボタンをおすことにそれほど怒りがこみ上げてくる理由がわかりまえんが、笑いのツボが国民性によって異なるように、怒りのツボにハマってしまったのでしょう。

かなり昔のことになりますが、米国のスーパーでビールを買おうとしたときに必ず年齢を確認されて、免許証とかパポートを見せていたことがありました。

その州では20歳から飲酒が可能だったので、当時30代だった私は「日本人は外国で若く見られると言うのは本当だな」ぐらいに思っていました。

しかし、その後州の法律に、「明らかに30歳以上に見えない場合は、必ず免許などで年齢を確認すること」という規定があることを知りました。

つまり、20歳に見られていると思っていたのは勘違いで、実は30歳以上かどうかを判断されていて。それなりに正しく判断されれていたということだったようです。

まあ、日本では飲酒や喫煙の年齢制限に関して長い間ルーズでしたから、まだきっちりとルールが運用されていない感じがありますが、30歳以上とか40歳以上に見えるかどうかを基準に店員が判断するのも一案かもしれません。

しかし、今回の動画は怒りのツボに偶然ハマってしまった例外として、記録に残すだけで良いような気もします。店員さん、お疲れさまでした。

日本車メーカーはお気楽?

東洋経済オンラインに「日本車メーカーはなぜこんなに”お気楽”なのか」という記事が掲載されています。

世界中で石油由来燃料の使用が規制されEVがもてはやされているのに、日本の自動車メーカーだけがEVに消極的な態度を続けるために、過去の米国ビッグスリーと同じ運命をたどるのではないかと警告しています。

最近YouTube系のCARWOWという、少しふざけた感じの自動車紹介チャンネルをよく見るのですが、確かにEVのドラッグレース対決で日本車が登場することはほとんどありません。

先進性では米国のテスラがEVの筆頭で、その後をドイツ車や中国車が追いかけているという状況で、英国ジャガーや北欧ボルボも対抗車種を出しています。

テスラには兄弟会社のようなルシードという会社があり、エアーという車種は新しいクラウンかと見間違うぐらい似ています。

もちろんトヨタもハイブリッドを始めとして、EVやFCVなど、技術は実質的にEVと呼べるものが網羅されていますが、トータルとしてEVに消極的という印象を与えてしまうようです。

このあたりは前トヨタ社長が説く、長期的にカーボンフリーを目指すには単純なEVだけでなく、いろいろな方法でアプローチしなければならないという考え方が影響しているようです。

しかし、このようなことは日本の政治家が世界に問えば良いことであって、いくらトヨタが世界で一番自動車を生産しているからと行って、世界のエネルギー政策にまで口を出してしまうと、EVの技術がない言い訳にしか聞こえないのです。

かくして、古い米国のビッグスリーと日本のメーカーが同列に論じられてしまうのです。

トヨタにとって不幸だたのは、日本国内に競合他社が全くおらず、特に競合となるべき日産とホンダが全く振るわず、それ以下のメーカーはトヨタの技術を借りてきてハイブリッド化するのがせいぜいだということです。

確かに日本のメーカーはお気楽なのでしょう。

驚いたことに、数十年前は共産主義国でぼろい車しか作れなかったシュコダが、今やフォルクスワーゲンと提携して近代的な乗用車が作れるようになっていると言うことです。

日本は半導体、家電、コンピューターが落ちぶれたと言われて、最後に自動車産業だけが残っているので守らなければならないなどという論調がありますが、本当に残っているのはトヨタ1社だけで、残りの自動車メーカーは家電と同じくほとんど休業しているように見えます。

これからは国内の先細りの需要とアジアの小国へ、1世代も2世代も前の安い車を売り続けることになるのでしょうか?

政府が半導体に税金を投入するという話ですが、このままでは自動車産業もジリ貧です。

80年代のシュコダを作っていた旧ユーゴスラビアのように、日本は旧社会主義国のようにうらぶれていくのでしょうか?

ぼったくりロードサービス

毎日新聞インターネット版に、ロードサービスでぼったくりに遭う被害が増えているというニュースが掲載されています。

路上で車のトラブルがあったときに、インターネットで調べて業者に連絡すると、インターネットの広告で表示された金額よりはるかに高い金額を請求されるそうです。

路上で車が止まってしまったという緊急事態で冷静な判断ができない状態で、とっさに業者と対等に交渉できる人は少ないかも知れません。

また普段から車の整備に詳しくて相場を知っているドライバーばかりではありませんから、現場で金額の妥当性が分からないのもうなずけます。

後から保険会社に請求して、初めてぼったくられたのに気づく人が多いようですが、金額が保険会社が負担する限度額に近いそうですから、どちらかというと保険金詐欺に近いかも知れません。

自動車保険会社によっては指定の業者のネットワークがあって、比較的安心して(保険会社的に)依頼できる場合もありますが、人が困難な状況に遭っているときにつけ込む手口がいまだに健在であることに、まだまだ日本の社会が熟成していないことを感じます。

取り締まるのも難しいですし、どこまでが正規料金でどこからが違法なのかも判断が難しいところです。

走行中に車が故障することに慣れていないドライバーは、業者の思うがままになってしまいます。

とりあえず普段から整備を怠らず、連休などに遠出をするときは事前に点検をしておくしかなさそうです。

あと必要なのは、その不運でさえも旅の思い出と思える余裕でしょうか?

「かわいい」より「カッコいい」

最近、女性でも男性カット専門の美容院が人気だというニュース。

昔から男性は理容店で散髪をして、女性は美容院でカットするというのが定番でしたが、最近はそれらの垣根がなくなって、お互いが好きなタイプのカット・散髪をする傾向があるらしいです。

カット方法について詳しことは分かりませんが、男性と同じように女性が社会で活躍するようになると、昔のようなフェミニンな丸っこい髪型ではなく、鋭いカットを特徴とするメンズカットを好む女性が増えてきたそうです。

男性に好まれる可愛さより、男性・女性に関わらずの好まれるカッコよさを求める様になってきたそうです。

昔はお姫様カットのようなスタイルに一定の人気がありましたが、男性も女性も仕事や立場に合わせてそれなりのスタイルが必要になっているということでしょう。

小さな子供が、それまで「かわいいね」と言われ続けていたのが、ある歳になると「カッコいい」と言われたくなるのと同じでしょうか?

「かわいい」は大人が子供に使う言葉で下に見られている感じがありますが、「カッコいい」は対等に見られていると言うことでしょうか?

テレビドラマでも、昔のようにきれいなだけの女優さんより、男勝りの切れる女優さんの方がウケが良いようですから、社会で認められる女性像というのが変化しているようです。

まだ女性専用や男性専用と思われるファションブランドが多いですが、だんだんそれらの区別がなくなって、どちらの性もOKというブランドが増えて来ることでしょう。

昔のように男臭さ、女性らしさを全面に出したブランドは時代遅れになり、性を意識しないファッションになっていくのでしょうか?