放送局が動画配信サイトになる?

最近はテレビを見ると言っても、放送時間にリアルタイムで放送番組を見るよりも、TVerなどで見逃し視聴をする人が増えているそうです。

以前ならビデオデッキやDVDレコーダーが時間差視聴の主役でしたが、今や完全にインタネットに取って代わられてしまいました。

つまり、90年代に予想された「放送と通信の融合」とはならずに、通信の独断場になってしまったわけです。

放送局が公共の電波の使用を優先的に認められているかどうかは、今や関係ありません。

パソコンやスマートホンで見る人にとっては、YouTuberも放送局も動画の視聴方法は同じです。後はコンテンツが面白いかどうかだけ。

ケーブルテレビが普及しだした頃、あまりにも多くのチャネルを埋めるために、ニュースや映画専門チャンネルや海外の放送局を無理やり揃えていましたが、通信が動画配信手段となった現在、インターネットに乗りさえすればいろいろなフォーマットで配信することが可能になりました。

そうなると、時間とお金を欠ける映画も同じ土俵に上がって、その次にお金をかけたテレビ局、その下にYouTubeなどのチャンネルが無数にある、動画配信ピラミッドの出来上がりです。

それぞれが広告料を狙って競争するわけですから、テレビ局も単にお金をかけるだけではダメで、それなりに優れた脚本や役者・芸人を用意しなければ、上からは映画、下からはYouTuberの突き上げがあります。

放送やテレビ局が全く特殊な特権を持たものでなく、動画配信の階層の一部を形成するに過ぎない存在になってしまいました。

まだ放送を受けるだけのテレビしか利用しない層が、ある程度残っているうちはテレビ局の存在価値は温存されますが、あと10数年後には放送局で淘汰されるものや業態を変えるものも出てくるでしょう。

何事にも最後のあがきのような技術が出てくるものです。フィルムカメラではディスクフィルムがありましたし、ビデオデッキではSVHS、DVDではブルーレイというように、大きなヒットになる前にそのものの技術が廃れていきました。

放送局も、最後に何かとっておきの技術を見せて、ひと花咲かせるでしょうか?

踏切前の窓開け?

自動車運転中踏切を渡る前に、窓を開けるように教習所で指導されているらしいというニュース。

昭和の時代にはそのような指導はなかったという記憶ですが、どうも目と耳で列車の接近を確認してから踏切を渡るためらしいです。

昭和の時代の自動車といえば、カーエアコンがそろそろ普及しだしたという頃で、カーオーディオはまだ序の口。それ故に暑ければ窓全開が当たり前です。

ですから車の内と外の区別がないぐらい一体感がありましたから、列車の接近なんて体で感じることが出来ました。

最近は、エアコン完備でカーオーディオが吠え続けていて、おまけにカーナビが合いの手を入れます。

窓を開けていなければ、車の外で何が起こっているかなんか分かりようがありません。(これは電車でイヤホンをしている人も同様!)

ですから踏切で警報機がなっているかどうかを確認するために窓を開けろということなのでしょうが、そもそもそれほど真剣に車の運転をしている人はいませんから、踏切で列車の確認をすることの意味を教えるところから始めなければなりません。

ところで、私が小学生の頃は(総和40年代)踏切ごとに踏切番の人がいる小屋があって、列車の到来を知らせるブザーにしたがって踏切棒の上げ下げをしていました。

そのような状況でしたから、踏切番の人がサボった途端衝突事故が起こりますから、踏切での一旦停止が必須でした。

今や自動的に動作する踏切がほとんどですから、信号の青で進んでも良いのと同じように、踏切が下りていなければ一旦停止しないで進んでも良さそうなものです。

米国では、踏切が閉じていなければ一時停止せずに進行してよいのですが、その代わり踏切が動作しているときは、列車は猛烈に汽笛を鳴らしながら徐行して踏切を進んでいきます。

デフォルトが車か列車かによって優先されるものが変わるようです。

日本でも踏切が列車の接近をしめす警報を鳴らしていないときは、一旦停止なしに通過できるように法律を変えてもよさそうなものですが、日本人は信号無視に近い無理に突っ込む習性があると思ってか、常に一旦停止することがルールになっています。

それどころか、窓を開けて踏切が壊れて警報がなっていなくても、列車の音を聞いて判断しましょうという念の押し方。

日本人は本当に安全志向です!(本当かいな?)