楽しむことと頑張ること

東洋経済オンラインに”「がんばる」は悪い意味、しんどいならやめたらいい みんなが「プロ意識」を持ちがちな日本人へ”という記事が掲載されています。

がんばるのは無理をしてまでやるべきことだけに限って、何でもかんでもがんばるのは悪いことだと諭しています。

達成する目的が意味があれば、それなりに成就するための努力は必要であるが、その目的は本当にがんばるに相応しいのもかと疑問を呈しています。

だいぶ前になりますがバラエティ番組でかの上岡龍太郎氏が、市民マラソンを一所懸命走っているときに沿道で一般の人が応援してくれるのはいいが、「がんばれ~」という応援だけは止めて欲しいと。

「もう十分頑張っているって!」ということらしいです。

かと言って、「無理すんなよ!」という掛け声では応援になりません。難しいです。

昔なら運動会で1等賞を取った取らないで一喜一憂していましたが、最近は順番をつけるのは教育上良くないということで、走った人全員入賞みたいな扱いになっています。

それはそれで極端かも知れません。

まあ世の中には、勝ち負けがはっきりしている方が楽しい人もいますが、勝ち負けよりその時間を楽しみたいという人もいます。

最近の野球や陸上競技の世界では、以前のようなスパルタ式のトレーニングより、個人に合わせた自由な練習の方が成果を出しているケースがあります。

個性を無視した一律的な指導は過去のものとなり、個別指導の重要性が認識されてきたということでしょう。

これは野球などの運動だけでなく、全ての学びに関して同じことが言えると思います。

リスキリングや生涯学習の重要性が叫ばれている今こそ、がんばらずに楽しめる学びやトレーニングの手法を見つけ出したいものです。