チョコまみれ

今、不二家の「チョコまみれ」にハマっています。

なんのことはないカントリーマアムのチョコレート増量版です。どうもチョコレートを2倍にしたらしいのですが、その結果絶妙な味わいのバランスになっていてクセになります。

チョコレート菓子には昔から色々議論がありまして、明治の「たけのこの里」と「きのこの山」のどちらがチョコが多いだの、ロッテでは「コアラのマーチ」と「パイの実」がどっちだの、グリコのポッキーはどれが良いだの、チョコレート菓子には常にいろいろな論争が沸き起こって参りました。

要するに、クッキーやビスケットに対するチョコレートの割合の黄金比はいくつなのかということですが、これが人の好みや趣向によって様々な意見があるので結論がなかなか出ないのです。

アメリカのウォールマートにSam’s Choiceという一種のブランドがあるのですが、その中にチョコレート量を増やしたチョコチップクッキーがありました。

そのパッケージの製品説明に、チョコチップクッキーにはチョコレートの含有比率の限界があると書かれていました。

オーブンで焼くと固まる小麦粉と、オーブンで熱せられると溶けてしまうチョコレートの比率を間違えると、焼き上がったときに形にならずに流れてしまう、だからチョコレートの含有量には限界があるということでした。

確か60%ぐらいがチョコレート量の限界で、それを超えるとクッキーにならないので、Sam’s Choiceはその限界ギリギリを狙って製造されているということでした。

確かに室温ではソフトクッキーのように柔らかく、しかしチョコレートリッチでとても美味しかったことを覚えています。

チョコまみれは、クッキーにした後から外にもチョコレートがコーティングされていて、純粋にチョコチップクッキーとしてのチョコレート含有量は低いかも知れません。

しかし、食べた感覚ではかなりチョコレート感があって、チョコレート好きには満足できる製品になっていると思います。

「チョコレート好きならチョコレートをそのまま食べたら良いやん」とおっしゃるかも知れませんが、それとはまた違った味わいと食感がたまらないのです。

チョコレート菓子の奥深さは深淵の如し!

ゴミくまと道路ぐま

北海道の自動車道でヒグマが出没して危険とのこと。

いろいろなところで出没情報があって、特定の場所を避ければ済むというわけには行かないようです。

ニュースで流れていた映像を見ると、いかにも通りがかった車の窓に食べ物をねだっているように見えます。

USのヨセミテ国立公園は美しい自然が人気の観光地ですが、公園の中にはそこら中に熊や野生動物に餌をやることを厳重に禁じる立て札があります。

特に公園内のホテルの駐車場には、車内に食べ物を放置したままチェックインすると、夜中に車をこじ開けられて散々な目に合うぞという警告が、掲示板やパンフレットに書かれています。

一度味をしめた野生動物は繰り返し同じことをやりますから、とにかく一度でも車を荒らす熊が発生したら、しばらくはホテルに駐車さえもできなくなってしまいます。

以前、軽井沢の別荘地でゴミくまが話題になったことがありました。外に放置したゴミ箱を夜の間に熊があさり、一度味をしめると何度もやってくるということでした。

北海道のヒグマも、おそらくかつて通りがかった車から餌をもらったのでしょう。そのクマが死ぬまで、車に餌をねだり続けるのでしょう。

北海道に限らず日本中で野生動物が道路や住宅地に出没することが増えています。その原因として安易に餌を与えたり、生ゴミを外においていたりする人間の行為が仇になっていることが多いと思います。

私達も動物保護、動物愛護の意味を理解した上で考えて行動し、動物と人間が互いに不幸にならないようにしなければなりません。

45歳定年制に賛成が30%だと?

まあアンケートでは大企業の100人に聞いただけのようですから、データとしての信頼性はかなり偏ったものと思われます。

サントリーの社長が45歳定年制を唱えたのに反応したアンケートなのでしょうが、現実感のない人にアンケートを取ってみたところで現実的な答えは帰ってきません。

実際に45歳で会社をやめて、その後どうなったかを語る人たちの意見を参考にするべきでしょう。

サントリーの社長にしても、点々とうまく社長業を渡り歩いた人ですから、その経験を元に理想を語られても現実感があまりない。(ただし一人の人生経験として本にまとめるのはありでしょう。)

45歳定年制に呑気に賛成票を入れる人は、45歳以降も今よりもっと充実して幸せな生活があって、それを自由に切り開いて行けると思い込んでいるのでしょう。

実際は45歳以降収入は半分以下に下がるは、今より立場は弱くなるは、将来の生活の安定性はないは、老後の心配もあるはとなる可能性が少なからずあると予想すれば、安易に賛成することはできません。

そもそも45歳で再就職や脱サラができる人は、制度として定年制がなくても勝手にサラリーマン生活から飛び出すでしょうから、45歳まで企業のぬるま湯につかっている時点で詰んでいます。

社長が高給取りで仕事をしない年配者を合法的に辞めさせる手段として、早い時期の定年制を考えるのは当然です。

しかし、従業員の立場では、45歳定年制は単に今までより早くはしごを外されるだけです。社内でやる気がある人は、はしごを外される時にはもっと上に登っていることでしょう。

定年制に賛成か反対かが重要ではなく、一生涯学びを継続することが一番大切だと思います。

新聞の衰退の原因

朝日新聞GLOOBE+の記事で、新聞の発行部数が減少一途である原因はインターネットやスマートホンの普及だけが原因ではないと主張しています。

新聞関係のインターネット雑誌に掲載されているので、信憑性と真剣さが半端ではありません。

京都府綾部市のグンゼの歴史をもとに、新聞が社会で生き抜いて行くために必要な姿勢を問いただしています。

実際、新聞に限らず紙媒体の雑誌などが廃刊され始めたのは、スマートホンやインターネットが広まる前でした。

記憶にあるのは「カメラ毎日」の廃刊で、これはデジタルカメラが普及しただけで、それまでのアナログカメラ中心の編集方針が対応できなくなってしまったのだと思っておりました。

特に月刊誌は値段が高くなる割には、毎年同じ内容の記事が繰り返されることが多く、1年前の雑誌で情報としては事足りると思えたものでした。

新聞に関しては、即時性に欠けるが故に、深掘りした記事が期待される訳ですが、年々記事の質が落ちて文字も大きくなり、情報としての価値が80年代ぐらいから低下し続けていたように思います。

当時USでは、新聞はスーパーで使うクーポンを入手するか、ローカルのClassifiedで不用品交換や賃貸アパート情報を探すのが主な目的だったようです。

日本でも折込チラシとテレビ欄がメインコンテンツだと言われていましたから、新聞の存在価値自体昔から大したものではなかったのかもしれません。

インターネットが普及したとしても、情報のソースとコンテンツを所有する新聞社は強者であり続ける事ができそうなものですが、紙面というものを販売しているという既成概念から脱却できていないような気がします。

ChatGPTのようなAIが登場した今こそ、事実に基づく報道体制の維持が重要になります。

早く生まれ変わった新聞社を見たいものです。

「大変ご注意ください!」

今朝乗った電車の、途中駅での車掌さんのアナウンスに引っかかってしまいました。

「扉に挟まれないように、大変ご注意ください!」

新学期が始まって混んでいたからでしょうが、違和感を感じました。

ではどう変えればよいだろうかと考えたところ、「十分にご注意ください」がまず頭に浮かびました。

しかし、「十分」ではある一定レベルまで注意すればよいと言っているようで、おそらく車掌さんが「大変」を使ったのは注意を強調する目的だったと思われるので、「十分」とは意味が違っているように思いました。

「とてもご注意ください!」、「非常にご注意ください!」、「かなりご注意ください!」、「万全にご注意ください!」と、どれもしっくり来ないです。

比較的「万全に」は聞きやすい感じがしますが、意味が重たくなりすぎです。

「少しだけ注意する」、「もう少し注意する」はありですが、もう少し注意するってどれだけですかってなりますから、「しっかり注意する」でしょうか? なんか学校の先生に言われている感じがしますね。

やはり注意は十分するかしないかが重要で、十分以上は必要ないということで、注意を強調するのは「十分」に任せるのが良さそうです。