専門職大学って専門学校と違うの?

神戸の女子大学が、閉学を前提に募集を停止するというニュースがあります。

神戸は数多くの私立の学校がありますが、特に神戸から西宮にかけてのエリアには、俗にお嬢様学校と呼ばれた女子大学併設の中高学校がいくつかあります。

元を辿ればウーマンリブに端を発する女性の地位向上運動の影響もあって、近年みるみるうちに女子短大や女子大の人気がなくなり、女性も一般の4年制大学に行って男子学生と一緒に社会科学や自然科学を学ぶようになってきました。

そのため、以前は教養や花嫁修行と言われた文学部や家政学部だけの女子大が、淘汰されつつあります。

数十年前なら、結婚をしたらある意味専業主婦という職業があったのですが、今やそれもなくなり、家計のために外に出て稼ぐ必要があるということなのでしょう。

90年代の主婦がパートで働き始めた頃、何のために働くかというアンケートの答えは、決まって「自分の趣味や娯楽のため」という回答が多かったのですが、当時USでは同じ質問に対して「生活のため」という回答がほとんどだったそうです。

やはり日本はUSから20~30年遅れて波が来るようです。

さて、女子が女子校付属でない大学に行くようになって、何が起こったかというと、大手私立大学の付属中学・高校が共学化して女子の生徒が増えました。

単に就職に弱い女子大学の付属から、就職ができる大学の付属に女子生徒が移動しただけです。

つまり、大学間の競争が激しくなってきているということで、その競争はどこに就職できるかが焦点になっているのですが、一方少子化で学生を集めなければならない大学側は、AOや推薦入試を増やしていて学生集めに必死です。

以前は真面目に大学が学問や人格形成のために行くところであるという人がいましたが、就職のためという目的を隠すことなく公言できるようになったのは良いことです。

そこで、もっと露骨に就職のための専門職を養成すると謳う専門職大学なるものが登場してきました。

専門職大学ならかつての専門学校で良いのではないかと思いますが、国から補助が出るのか、4年在籍させないと儲からないのか、なぜか新しい形態の大学を作りたがるようです。

何かどんどん発散していくばかりで、収束する方向性が見えなくなっていて、本物とインチキの見分けが難しくなってきています。

こんなときは人の言うことが信じられなくなりますから、AIに任せて大学を選ぶようになるかもしれません。

ますますインチキがまかり通りそうです。

25人のAIが一緒に暮らす?

スタンフォード大学とGoogleが共同研究で、AIを25セット用意して同じ環境で生活をさせたら、それぞれの人格が形成された如くコミュニティができて、バレンタインの催しを企画するなどの自然発生的な(プログラムされていない)行動が現われたそうな。

最近のAIは、少なくとも小学生低学年ぐらいの人間性を再現できているように思えるので、集会をしたりパーテイを開催したりぐらいはできるだろうとは思いましたが、完全に社会生活に近い形態が再現できたというのは恐ろしいことのように思います。

もちろん、それぞれのAIにキャラクターを持たせるために、個人的な趣向や行動の傾向を属性として与えているので、それぞれのAIがそれらしい方向性に進んでいくことは予想できるのでしょう。

しかし、これまでコンピューターはプログラムで与えられた動作しかしないものでしたから、プログラムの自動生成、つまり行動を自ら開発していくことができるという進歩は、AIがプログラムされなくても自ずから進化していけることを証明したと言えるでしょう。

これだけでも十分将来が心配になりますが、たいていこのような研究では、人間をシミュレートしようとして、人間に備わっている制約や限界を教え込ませて、できるだけ人間のような振る舞いを再現しようとします。

一方で、人間を遥かに凌駕する知能を開発しようとする研究者もいるでしょうから、人間の能力を超えるばかりか、人間の想像力までも超えてしまうような知能が開発されてしまう可能性も否定できません。

ChatGPTではインターネットから学習しているということですから、既存の知識や技術を吸収するに留まっているのですが、人格や知能が新たに形成されるとなると、その結果人類の味方になるとは限らず、まさにSF映画に出てきたような問題を引き起こす可能性が高いのではないかと思います。

これはもう宇宙人と同じです。

かつて、鉄腕アトムでも、人間社会とロボットの社会のいがみ合いがテーマになったことがありました。

人類が作ったものは人類が管理できるとは限りません。

これは原子力以上に人類の滅亡に関わる科学が、誕生してしまったのかも知れません。

回数券とポイント制

最近、JRも私鉄も回数券の廃止が相次いでおります。

在宅勤務が週に1日とか2日あると定期券では元が取れないため、以前は回数券を購入して、通勤費も回数券代が支給されることが多いのではないかと思います。

そこに来て回数券が廃止されるのですが、代わりにICカードで同じ料金の区間をひと月あたり10回以上乗ると、一定の割合でポイントとして還元されるところが増えてきました。

回数券に比べて還元率は少ないのですが、制度的には回数券の代用ですから、通勤費の支給はポイントを考慮した運賃が計算されるものとばかり思っていました。

ところが、これは私事の限るのかも知れませんが、通勤費規定で回数券か定期券の経済的な方を採用すると書かれているのをそのまま適用して、回数券がなくなれば普通運賃で計算する事に気づきました。

確かにICカードカードを使うかどうかは自由ですし、大抵はICカードはショッピングのポイントなどと合算されるので、通勤費が単純にポイント分だけ安くなるわけではありません。

かなり昔、飛行機のマイレージが普及しだした頃、出張で乗ったマイルに関しては会社に供出しなければならないというルールができたものの、その後マイレージ制度が他の利用でも加算されることになって出張だけのマイレージが計算できなくなり、出張で獲得したマイレージも個人で使って良いことになったことがありました。

回数券が廃止されて、実質運賃の値上げになるケースが多いみたいですが、通勤費が普通運賃丸々支給されるのなら損得を計算する必要はなさそうです。

回数券が切れるたびに買う必要がなくなり、また磁気回数券が通れる改札機を選ぶのも面倒でした。

長年慣れ親しんだ回数券がなくなるのは寂しいですが、ICカードに統合されるのはこのご時世では仕方がありません。

これからはチャージだけは忘れないように、心がけようと思います。

最近は風呂に毎日入らないらしい

最近、風呂の設備がない賃貸住宅物件に人気があるらしいです。

テレビ番組で特集を組んでいるほどですから、かなり浸透しているのかも知れません。

嘘か本当かは知りませんが、そもそも風呂に毎日入るという習慣がなくなってきているということらしいです。

なるほど、最近通勤時間の電車に乗っていると、以前に比べて清潔感がない人を時々見かけますが、そういうことだったのかと納得です。

そう言えば、最近朝シャンが話題になることがありません。物事は極端から極端に飛ぶことが多いですから、朝シャンからノーシャンに変化したのでしょう。

お決まりの落語の一節を思い出しました。

「おい、おまはんも嫁さんもらうんやったら身ぎれいにせなあかんで。ちゃんと風呂に入っとるんかいな?」

「失礼なこと言いますな! ちゃんと2回入ってまんがな。」

「おー偉いな、朝晩2回入ってるか?」

「いやっ、盆と正月!」

日本人が毎日風呂にはいるようになったのは、昭和40年代に入ってからでしょうか? 風呂はない住宅もまだ多かったですから、街なかに風呂屋が必ずありました。

昭和40年代はまだシャンプーが粉末だった頃です。大阪万博の頃から急激に生活が近代化された記憶があります。シャンプーやその他の衛生用品のCMが急激に増えた頃です。

ここに来てまた風呂の普及率が下がり始めたのは驚きですが、給与が上がらない、物価が上昇するなどの影響で生活レベルが下がれば、風呂のあるなしに影響するのは当然かも知れません。

このまま昭和の頃のレベルまで、生活レベルが落ちていってしまうのでしょうか?

街角のインタビューでは、お風呂に入るとスマホができないというのが理由だったりすると、スマホが日常生活を妨げるまでに蔓延ってしまったと言えるでしょう。

最近は情報を一日中浴びすぎて、脳が麻痺をしてきているという説もありますから、いずれ大きな問題になってくるでしょう。

風呂不要論も少子化も低所得化も全てスマホが原因だったとしたら、かなり恐ろしい社会問題と言えるでしょう。

とにかく、電車が臭くて一年中窓を開け放って疾走する事にならないことを祈ります。

転職すれば賃金が上がるか?

日本人の賃金が上がらないのは、年功序列で定年まで同じ会社に居座り続ける事が原因だと言われています。

定年までいればそれなりの退職金化年金が保証されているので、途中でスキルを磨き直して転職するような、面倒なことをしなくても生活していけるところに問題があるという理屈です。

そこで転職市場をもっと活発にしようとか、定年を45歳にしようとかいろいろ論じるのですが、どれも付け焼き刃的な思いつきを並べただけのように見えます。

日本人の賃金が上がらないのは日本の企業の業績が上がらないからで、転職とは何の関係もありません。

企業の業績を上げるために、必要な人材がどこかに滞っていて回って来ないのなら、転職市場の拡大は急務かもしれませんが、リスキリングや学び直しが同様に必要だというのなら、そんな都合の良い人が転職市場に余っているわけではありません。

根本は時代の要求に答えていない、学校の教育や社内人材開発の問題と言えるのではないでしょうか?

また、転職と言うと従業員に問題があるように思えますが、企業経営者が正しく経営しているかと言えば、かなり昔から怪しいところが多々あります。転職の中には社長を始めあらゆる階層の再教育を兼ねた仕組みがなければならないような気がします。

転職市場を充実すれば、日本の企業経営が立ち直るのか? 日本企業はそれほど社内に人材がいなくて、どこか特定の企業が抱え込んでいるのか? 転職市場には優秀な人材だけが登録されていると期待しているのか?

なんだか、下手な経営をごまかすための言い訳に見えてきました。

今でも活力があって成長を続ける企業なら、転職市場に頼らなくても優秀な人材が集まってくるでしょう。

別に海外から採用しても構わないのですから、国内の転職市場をとやかく言っている時点でその企業は終わっています。

ぜひ労働者も経営者も、自由に羽ばたいていただきたいと思います。