新聞の衰退の原因

朝日新聞GLOOBE+の記事で、新聞の発行部数が減少一途である原因はインターネットやスマートホンの普及だけが原因ではないと主張しています。

新聞関係のインターネット雑誌に掲載されているので、信憑性と真剣さが半端ではありません。

京都府綾部市のグンゼの歴史をもとに、新聞が社会で生き抜いて行くために必要な姿勢を問いただしています。

実際、新聞に限らず紙媒体の雑誌などが廃刊され始めたのは、スマートホンやインターネットが広まる前でした。

記憶にあるのは「カメラ毎日」の廃刊で、これはデジタルカメラが普及しただけで、それまでのアナログカメラ中心の編集方針が対応できなくなってしまったのだと思っておりました。

特に月刊誌は値段が高くなる割には、毎年同じ内容の記事が繰り返されることが多く、1年前の雑誌で情報としては事足りると思えたものでした。

新聞に関しては、即時性に欠けるが故に、深掘りした記事が期待される訳ですが、年々記事の質が落ちて文字も大きくなり、情報としての価値が80年代ぐらいから低下し続けていたように思います。

当時USでは、新聞はスーパーで使うクーポンを入手するか、ローカルのClassifiedで不用品交換や賃貸アパート情報を探すのが主な目的だったようです。

日本でも折込チラシとテレビ欄がメインコンテンツだと言われていましたから、新聞の存在価値自体昔から大したものではなかったのかもしれません。

インターネットが普及したとしても、情報のソースとコンテンツを所有する新聞社は強者であり続ける事ができそうなものですが、紙面というものを販売しているという既成概念から脱却できていないような気がします。

ChatGPTのようなAIが登場した今こそ、事実に基づく報道体制の維持が重要になります。

早く生まれ変わった新聞社を見たいものです。

「大変ご注意ください!」

今朝乗った電車の、途中駅での車掌さんのアナウンスに引っかかってしまいました。

「扉に挟まれないように、大変ご注意ください!」

新学期が始まって混んでいたからでしょうが、違和感を感じました。

ではどう変えればよいだろうかと考えたところ、「十分にご注意ください」がまず頭に浮かびました。

しかし、「十分」ではある一定レベルまで注意すればよいと言っているようで、おそらく車掌さんが「大変」を使ったのは注意を強調する目的だったと思われるので、「十分」とは意味が違っているように思いました。

「とてもご注意ください!」、「非常にご注意ください!」、「かなりご注意ください!」、「万全にご注意ください!」と、どれもしっくり来ないです。

比較的「万全に」は聞きやすい感じがしますが、意味が重たくなりすぎです。

「少しだけ注意する」、「もう少し注意する」はありですが、もう少し注意するってどれだけですかってなりますから、「しっかり注意する」でしょうか? なんか学校の先生に言われている感じがしますね。

やはり注意は十分するかしないかが重要で、十分以上は必要ないということで、注意を強調するのは「十分」に任せるのが良さそうです。