名ばかりのビジネスクラス

プレジデント・オンラインに掲載されている「日本特有の『名ばかりS席』を許してはいけない…消費者法の専門家がエンタメ業界の悪慣習に怒るワケ」という記事。

日本の劇場のチケットのS席は、その数が多すぎてSpecialのSに相応しくない席までもがS席の料金設定になっていて、消費者はもっと怒らなければならないと指摘しています。

その記事に書かれた調査によると、劇場全体の61%がS席に指定されているとのこと。

劇場で観やすい席の位置はそれほど多くないはずで、S席に相当しない席ならA席やB席と順当な席のランク付けをするべきだと言っています。

確かに最近の劇場での席は、S席以外はほとんど最悪の端っこや最後部になっていて、少なくともまともに鑑賞しようとするならばS席以外の選択はなさそうです。

要するに値段の吊り上げが行われているわけで、大した価値がないものを高く売りつけるあくどい商法の一つと言えましょう。

おそらくS席の中でも本当に良い席は、また別途お得意様向けに別のルートで流通しているのでしょう。S席を購入したからと安心して良い席が巡ってくるだろうとは思わないほうが無難です。

この話を聞いていて思い出したのが、バブルの頃のビジネスクラスです。

当時、エコノミークラスは団体旅行向けのやすいチケットが流通していて、日本~北米路線で15万円ぐらいで流通していました。対してビジネスクラスは、企業の出張族が使うチケットで相場は40万円ぐらいでした。

その頃、日本航空の成田ーJFK路線のビジネスクラスに搭乗したのですが、ボーイング747型機の機内に入って席を探すと、最後尾のブロックの半分がビジネスクラスだったことがありました。

エコノミークラスはその後ろに10列ほどあるだけで、機内のほとんどがビジネスクラスなのです。おそらくビジネスクラス率は80%は超えていたでしょう。

ですからビジネスクラスに乗った優越感もなく、客室乗務員からもビジネスクラス的な扱いはなく、ただただ退屈な時間を過ごすしかありませんでした。

同じ頃でもANAならそのようなことはなかったようですから、日本航空特有の高利益率フライトだったのかも知れません。

S席ばかりの劇場とビジネスクラスばかりの航空機、どちらも利用したくはありませんね。

国民負担率47.5%の脅威!

東洋経済オンラインに「国民負担率47.5%の先に待つ日本の最悪シナリオ」という記事が掲載されていました。

国民負担率とは、国民の所得から税金や社会保険料などの社会維持のため負担した割合を指すそうですが、その前に企業が払っている法人税や、物品購入時に支払う消費税やガソリン税もありますから、すでに50%はとっくに超えているのではないでしょうか?

その負担した中から老齢年金や健康保険が支払われるのは良いのですが、新型コロナ禍の負担やばらまきと言われる補助金など、根拠に乏しい無駄なお金が大量に流れているのはいかがなものでしょう。

そこで自民党は所得倍増計画を打ち立てるのですが、その内容は企業の給与の嵩上げだけには及ばす、自己責任による投資までも含まれて考えられているようです。

投資といえば国家や企業が成長ベースのときは、ほとんど目をつむっていても儲かることが多いのですが、企業年金が破綻するほど投資のリスクが高まっている時代に、個人が急に出ていって簡単に資産を増やせるはずがありません。

日本国民総バクチ打ちを目指すのでしょうか?

そもそも投資して儲かるような時代ならそれなりに金利が高いわけですが、金利が低いということは、投資しても儲からないということですから、個人がいきなり投資して儲かる確率が高いわけがありません。

おそらく自民党の魂胆は、日本が借金漬けになっている元の日本国債を圧縮するために、どこからかの資金が必要で、そのためにタンス預金を排出させようということでしょう。

もちろんタンス預金と呼ばれるものの中には、相続の対象となっているものも含まれています。マイナンバーカードの普及に躍起になっていると頃を見ても、膨れ上がった国債の危険度がやっと政府に認識され始めたということでしょうか?

この国民負担率が47.5%という数字の意味を討論してもあまり意味はなさそうで、今後もこのまま推移するのか、あれよあれよの間に50%~60%~70%~なんて言うことになっていくのか、油断をしないで注目しておく必要がありそうです。

三権分立はもう古い

私の世代でも小学校で習った訳ですから、もうかなり古い考え方なのでしょう。ですから、常識的に現代の社会に通用する訳がないと思われます。

三権とは、立法、行政、司法と習いましたが、権力の独占を防ぐために3つの権力を分散しておけば良いと習ったのですが、これをそのまま信じている人はどのぐらいいるのでしょうか?

国会中継を見ていて、ここで法律が作られるのかと疑わない人はいるでしょうか? ゴミだらけの汚い工場で製造されているものがパンで、そのパンを食べているのが今の日本人なのです。

三権を分離しているがためにお互いの非を指摘することもできず、それぞれがテリトリーを誰にも侵されずに好き勝手にやっている。

これが近代国家なのでしょうか? 社会科学は科学であることを放棄したとしか思えません。

最近になって裁判で「現在の法律の範疇では」と但書が付けられた判決が出ることがありますが、明らかに法律の不備を指摘しているように思えます。

国会がいい加減なら裁判所もそれなりであって、世間から非常識と見られる判決が溢れています。

小学校の時に思いませんでしたか? 日本国民は裁判で地裁(簡裁)、高裁、最高裁と3回審議する機会が与えられているので安心だと習ったときのことを。

「何で3回で十分なんだ?」

行政の辺りは良いのか悪いのかも定かではない、ほぼダークマターと同じだと思っても良いかも知れません。

行政の良し悪しは自分に利益があるかどうか。それゆえに収賄の巣窟になっていても、反ってそれが自然だったりします。

最近、選挙ポスターの掲示板があちこちに並び始めました。また不毛で中身が無い割にはうるさいだけの知事選や市会議員選が始まるようです。

三権を分離することが本当に妥当なのか、あるいはもっと多くの権利を分離しなければならないのか。

一度議論した方がよろしいのではないでしょうか?(誰に聞いている?)

性善説からの脱却

最近、回転寿司テロなどの話題が途切れることなく流れてきますが、その中で話題になるのが性善説の良し悪しです。

なぜか分かりませんが、日本人は国民として善人であるべきだという観念があって、例えひどいことを平気でする人がいたとしても、それはそれで理由があってのことと、あくまで人自身には非がないと思い込もうとする習慣があります。

「罪を憎んで人を憎まず」とは言いますが、如何にも日本人らしい発想といいましょう。

あくまで日本人には悪人はおらず、もし悪事を働いたとしてもその人の意思ではどうにもしようがない、何らかの外乱によって踏み外したというような受け取り方をしようとします。つまり更生が効くと。

何人とも仲良くしなければならないという、お上からの押し付けにほかなりません。他人事ならいいのですが、実際に被害にあった人にしてみれば冗談ではありません。実際、最近のニュースでは慈悲がない悲惨な事件が後を絶ちません。

そろそろ「みんなで仲良くしましょう」ではなく、「外に出れば100人の敵」が適切な世の中になっています。

「人間皆兄弟」とは、裏を返せば兄弟喧嘩や相続争いなど「争いごとは身内から」。殺人事件の半分は身内が犯人だそうです。

建前のみんな仲良くは通じなくなっているのですから、そろそろ性善説に従った商習慣や立ち振舞は止めて、世界標準の性悪説に立った行動が必要なのではないでしょうか?

国策半導体会社の行方

日本の主だった産業の会社が共同で設立し、日本政府も大金を投入しようとしている国策半導体会社「ラピダス」。

北海道に新工場を建設して、かつて半導体技術で世界を席巻した日本の技術を再びという目論見でしょう。

何より半導体生産では台湾のTSMCは圧倒していて、難しい半導体は任せておけば良いという風潮だったので、国内の半導体メーカーがどんどん生産から撤退してもお構いなしだったのですが、急に「中国が台湾を併合したらどうする?」となって、米国も日本も自国生産拠点の整備を急いで始めたということでしょう。

半導体を「産業のコメ」と呼んだのはかなり昔のことになりますが、半導体がなければ話が始まらない産業は多岐に及びます。

国内の自動車産業を守ろうとしても、半導体の供給を中国に頼ることになってしまっては足元からすくわれてしまいます。今になって「産業のコメ」という言葉の重要性に気づいたということでしょうか?

しかし、2nmのテクノロジーを米国から調達して生産に特化するようですが、日本企業はここのところ最新半導体技術から遠ざかっていますから、人材や品質管理体制を整えるのは容易ではなさそうです。

国産航空機の頓挫のようなことにならないように、注意深くしかし大胆に突き進んでもらいたいものです。

最近の半導体関連のニュースでは、九州のTSMC関連の新設工場も話題ですが、生産設備の話ばかりで設計技術に関する話題がありません。

製造にはそれなりの技術が必要ですが、さらに設計には付加価値を付けるためのノウハウが含まれますから、そろそろ設計に関するニュースを聞きたいところです。

半導体設計に関してもここ20年ぐらいは撤退の話ばかりでしたから、すでにかなりの技術が失われているかも知れませんが、ラピダスの最新の製造技術が活かせるように、世界で勝負できる設計技術を生み出してもらいたいものです。