性善説からの脱却

最近、回転寿司テロなどの話題が途切れることなく流れてきますが、その中で話題になるのが性善説の良し悪しです。

なぜか分かりませんが、日本人は国民として善人であるべきだという観念があって、例えひどいことを平気でする人がいたとしても、それはそれで理由があってのことと、あくまで人自身には非がないと思い込もうとする習慣があります。

「罪を憎んで人を憎まず」とは言いますが、如何にも日本人らしい発想といいましょう。

あくまで日本人には悪人はおらず、もし悪事を働いたとしてもその人の意思ではどうにもしようがない、何らかの外乱によって踏み外したというような受け取り方をしようとします。つまり更生が効くと。

何人とも仲良くしなければならないという、お上からの押し付けにほかなりません。他人事ならいいのですが、実際に被害にあった人にしてみれば冗談ではありません。実際、最近のニュースでは慈悲がない悲惨な事件が後を絶ちません。

そろそろ「みんなで仲良くしましょう」ではなく、「外に出れば100人の敵」が適切な世の中になっています。

「人間皆兄弟」とは、裏を返せば兄弟喧嘩や相続争いなど「争いごとは身内から」。殺人事件の半分は身内が犯人だそうです。

建前のみんな仲良くは通じなくなっているのですから、そろそろ性善説に従った商習慣や立ち振舞は止めて、世界標準の性悪説に立った行動が必要なのではないでしょうか?