いつからシステム部門を外注するようになったか?

いくつかの企業で働くようになって驚いたことの一つに、インターネットの利用があります。

インターネットというと「インター」と付いているから何となく「インターナル」をイメージして内側にあって安全なもののように感じませんか?

しかし、実際は完全な「アウト」ですから、そこに何が潜んでいるか全く分かりません。

以前いた企業では、社内のメールは専用回線でやり取りしていたので、VPNで安心して社内のメールをやり取りしている企業は大丈夫なのかと思ったことがあります。

メーラーも無料で使えるアプリケーションを自由に使っていて、それでは社内の機密を守れるはずがないと思ったものでした。

それがベンチャーや中小企業がやっているならまだしも、世界に名だたる電機メーカーやコンピューターメーカーでさえそのような体制ですから、日本企業の企業機密がダダ漏れでも仕方がないなと。

更に最近になって、企業のシステムをAWSのクラウド上で構築する動きに加えて、政府のシステムもAWSに乗っけるという大胆さ!

国内に有力なクラウドサプライヤーがいないから、仕方がないというのは分からなくはないですが、それならクラウド以外の方法を選ぶべきですし、LINEを使った公共システムの計画に至っては、政府はセキュリティについて何も考えていないのだなと逆に納得してしまいます。

コンピューターを使ったシステムが生活に深く入り込んで、それほど普段意識をするものではなくなってきているのは確かですが、それだけ生活を脅かす機密漏洩が起こりやすくなっているのですから、データの管理体制はクラウド任せにせず、二重三重に厳重な監視ができるようなシステムを組んでもらいたいものです。

H3ロケットの発射中止

H3ロケットが、固定燃料ロケットに点火しなかったために発射が中止されたとのこと。

中止と失敗の違いについて議論になっていますが、とりあえずやり直しがきくのが中止で、やり直せないのが失敗ということで納得しましょう。

国産ジェット旅客機開発が中止になった後ですから、派手に飛ばしてもらいたかったところですが、点火しなかったら仕方がありません。花火でも点火しないことは多々ありますから。

確かに飛行機や新幹線なら時間通りに運行することは大切で、スケジュール通りに飛んでいる割合が航空会社の評価の一部ですから、時間通りに運行することは重要です。

しかし、ロケットの場合は飛ぶ時間が重要でなくて、飛んだ後に軌道に正確に乗せることができるかとか、計画通りの軌道を描いて飛行することがより重要ですから、今回のように飛ばなかったのはそれほど計画では重要な意味を持っていないことは納得できます。

どうも一般人的には新幹線のダイヤと同じような感覚で、成功か失敗かを判断してしまうのでしょう。

物事には必ず満たさなければならない条件と、満たす必要なないけれども必然的に決めて置かなければならない時間や数値というものがあります。

例えば宿題をやるのにいつまでにやらなければならないという事が重要で、それに何時間かけるかは気にしない場合があります。

今回のロケットの発射にしても、その時間に打ち上げることは天候的に必要ではあったかも知れませんが、別に次の日でも3日後でも構わないのです。

おそらく、いつまでに成功させなければならないという別の日程があって、その保まで成功させるための発射日が今日だっただけで、その日に成功させる意味は殆どないのでしょう。

まあ、少し前まで日本は自称技術立国でしたから、失敗は許されないのでしょうが、今回は失敗ではなくて中止ということで、暫く待つことにいたしましょう。

話は戻って、新幹線の雪による運休が続いておりますが、これも雪で止まっているからまだよいので、雪で脱線したらえらいことです。

計画が思い通りに行かないこともありますが、それらをすべて失敗と嘆くのではなく、影響が大したことでないなら、あえて中止と言ってじっくり準備をやり直すことが必要なのかも知れません。

クリエーティブな仕事って本当にクリエートしてる?

昨日、これからはChatGPTがインターネットサイトを全部検索して、まとめて整理して回答を出してしまうのでサイトを見る必要がなくなると、自分で書いてサイトを更新する気が失せてしまった私です。

少し前にまとめサイトが、他のサイトから必要な情報だけ引っこ抜いて、如何にも自分が書いたように見せているのは著作権を侵害しているというような議論があって、まとめサイトを提供していた企業が倒産したり、Google検索の順位が大きく下げられたという事件がありました。

しかし、インターネットから情報を引き出してくるChatGPTは、正にAIが行うまとめサイトのようなものですから、そのうち前回と同じような議論が巻き怒らないとも限りません。

ところで、最近AIが絵を書いたり小説を書いたりするそうですが、そうなると将来消滅する職業に真っ先に挙げられるのは、小説家やアーティストとなってしまいそうです。

クリエーティブな職業は、人間本来の感性や経験に基づくものなので、一番AIの影響を受けなさそうな気がしていましたが、意外とクリエーターはほとんどクリエート(創造)することなく、過去に造られたものをコピーして、模倣して、つなぎ合わせていただけだったのかも知れません。(そりゃ、頻繁に盗作が話題になるわけです。)

まあ、絵画も最初は模倣をするところから始めるそうですから、模倣は大切なのでしょうが、これほどまでに様々な芸術作品が溢れてきていますから、そう簡単にオリジナリティがあって素晴らしい作品を作ることはできなくなっているのでしょう。

過去の作品の一部をコピーして適当にノイズを入れておけば、新しい創作物の出来上がりとするならば、AIは人間より数段速く作る事ができるでしょうし、それを創作と認めないとすれば、これまでの人間の作品も創作と呼ぶには相応しくなかったと言えるかも知れません。

はるか昔の70年代に電卓が普及した頃、もう計算練習はしなくてもよくなるだろうと思ったのですが、実際は今でも計算は必要ですから、AIによってどこまで置き換わってしまうかは容易には判断できません。

AIが作った絵や小説が珍しいうちはおもしろがって話題になりますが、すぐに飽きられてしまうかも知れませんし、逆に人間が作った絵や小説が見向きもされなくなるかも知れません。

得意分野を住み分けて共存するというのが、望ましい落とし所でしょうか?

ChatGPTの可能性

最近色々なところでChatGPTが話題になっています。

まずは、その論理的な回答の優秀さが注目されていて、確かにサンプルの文章を見ていると、要領を得ない人の話よりよほどまともな感じがします。

もう一つ注目されているのは、ChatGPTの登場で慌てていると言われるGoogleの今後の対応です。

AIを利用したコンピューターサービスは、今後Googleが力を入れていく分野なのでしょう。そこに突如として対抗馬が現れたのですから、悠長に構えているわけにも行かないのでしょう。

しかも、MicrosoftがChatGPTに肩入れしていて、次世代の検索エンジンに採用するということですから、Googleの屋台骨を揺さぶる可能性もあります。(インターネットの情報を牛耳るのは俺だ!)

AppleのSiriも登場のとこは大きな驚きでしたが、くだらない質問に対する適当な答えを聞き飽きてしまった感があります。ChatGPTが同じ運命にならなければよいのですが。

ところで、ChatGPTはインターネットの情報から、質問に応じた情報だけを整理して提供してくれるということですから、ある意味ではインターネットのまとめサイト的なものをAIで実現したと言えるかも知れません。

私たちがググると言いながら、Google検索を駆使してインターネットサイトを探しているのは、そのサイトを見たいからではなく必要な情報を得たいからです。

ですからAIを使った検索で事足りれば、サイト自体を見ることもなくなるでしょう。私のようにサイト上に一生懸命文字をアップロードしているのが虚しくなります。

もうインターネットサイトはなくなり、情報をインターネットに吸い上げるような、AI版情報アップローダーみたいなサービスが登場するのも近いでしょう。

確かにプログラムのコーディングで分からないことは、ほぼ間違いなくググれば回答が得られますから、コーディングをAIがやってしまうのはそれほど難しくないと思います。プログラムの仕様も、ChatGPTとの会話だけで作れそうです。

まだChatGPTには論理的に破綻することが時々あるそうですが、人間でもいい加減な理屈を述べ立てているように見えて、中身が伴わない会話をしている人も多いですから(それは私!)、それはそのうち改善していくことでしょう。

人が言ったことに指摘したら喧嘩になる可能性がありますが、ChatGPTに対して間違いを指摘したらどうなるのでしょうか?

ChatGPTの例を見ていると、個々の質問に以前の回答は反映していない様子です。インターネット検索も個々の検索は独立していて、過去の検索結果を利用したり反映した検索はできませんから、ChatGPTに間違いを指摘しても、それはそれで別の質問として処理されるだけのような気がします。

世間に一通り広まるまではChatGPTのブームが続くでしょうが、その後インターネットが大きく変わってしまう予感がします。

ブログも企業サイトも食べログもSNSも、何もかもまとめてAIが検索して整理した結果だけを文章か音声で受け取るようになれば、たしかにSFで見たような世界です。

そのうち人間は、AIがばらまく情報の餌をむさぼり食うような餓鬼になってしまうのでしょうか?

自転車通勤の限界

新型コロナ禍に伴い、人との距離が密になる電車を避けて自転車を通勤に使う人が増えたのですが、新型コロナの収束の気配が感じられる今、自転車通勤に限界を感じる人が増えているそうです。

体力的な限界を感じた人は当然いるでしょうが、それ以上に交通環境が良くないために危険な目にあったり、思った以上に時間がかかったり、あるいはあまりダイエット効果がなかったりと、自転車通勤が期待外れに終わったということが多いらしいです。

自転車がブームになってから、部品の供給不足や世界的な流通問題で自転車価格が高騰していましたが、ブームが収まると今度は自転車の供給過多が起こり始めて、欧米では値崩れが始まっているそうです。

地球温暖化対策としても、自動車やバスの代わりに自転車が推奨されていましたが、道路や駐輪場のインフラはそう簡単に整備することはできませんから、当初はメリットが強調されていても、次第に自転車通勤の欠点が目立つようになってきたのでしょう。

ただ、新型コロナ禍を機会に電動アシスト自転車のバリエーションが増えてきましたし、コミュートだけではなくレジャーやスポーツとしての自転車の裾野が増えてきたことは、今後も継続的に自転車を楽しむ人が増える可能性があり、健康促進やCO2排出の効果が期待できるのではないかと思います。

個人的には、世界的に自転車がだぶついて価格が安くなってくれれば、その機会に自転車を買い替えようと狙っております。(まあ、私が狙う価格まで下がってくれる可能性はかなり低そうですが、、、)