よく考えてみると、インターネットにはサイトが無数に合って、それぞれのサイトにはいくつかのページがあって、そのページごとに検索されてユーザーが閲覧します。
そして、その検索順位にはある秘訣があって、その秘訣は事もあろうに事態が変化するたびに勝手に切り替わってしまいます。
インターネットはとても不確実で曖昧な世界です。
以前からあったYahoo検索の登録制にすれば、サイト運営者はYahooの方針に従わざるを得なくなりますし、Googleが検索の主導権を取ればサイト運営者はGoogleの機嫌を損ねないようにしなければなりません。
ここまでがインターネットが隆盛して現在までの話。さてAIの登場で話は少しややこしくなってきます。
これまで表向きはあくまでサイトが主体で、その運営者である個人や企業などの団体がインターネットの情報を管理していました。
それがアクセスされるかどうかは別にして、情報そのものはサイト管理者の手の中にありました。
まとめサイトと称して人のサイトから情報を抜き取って来る企業などは、少し前までは大手を振ってインターネットに蔓延っていましたが、今は禁止されていると言っていいでしょう。
しかし、サイトが管理してきた情報を、AIがスクレイピングして勝手な方法でダイジェスト化して再販する時代になろうとしています。(これを再販というかどうかは定かではありませんが。)
この流れは止めがたい時代の変化だと思いますが、人がやってだめなことはAIがやってもだめなように思います。AIがやれば犯罪も仕方がないとは誰も考えないでしょうから。
そうすると、AIには別の方法で地道に情報を与えてやらないといけなくなります。例えば論説評論家が毎日新聞を何紙も読んで情報を覚え込むように、AIに新聞からの情報を咀嚼してから詰め込むとか。
ここで疑問が生じるわけです。情報って書作権で守られるものなの?
情報や事実は自然に発生するものですから、人間が創作した著作物ではなく自然に存在していて、人間の所作によって生じた創作物ではないということになるでしょう。
今、AIが取り扱う情報や論理などの本質を問う論議が必要な気がします。