まあ世の中には反発しあっているようで、実は持ちつ持たれつの関係にある間柄が多くて、それで均衡を保ってそれぞれの存在価値を見出していることも多い訳です。
例えば歯医者さんに行けば、歯科衛生士さんが出てきて歯磨き指導とやらをやってくれるのですが、本当に歯磨き指導に効果があるならば、歯医者さんの出番が減ってしまうので、それほど効果がないことを丹念に指導してくれている訳です。
あるいは自動車のディーラーに車検を出した時に、完璧に新車に近い出来栄えにしてしまうと、新しい車を買ってもらえなくなるので、適当に壊れるように仕向けるのも商売として当然なのでしょう。
また警察も、世の中からすべての悪が消え去ってしまったら警察の存在価値がなくなりますから、大きな問題ならない程度の悪は温存しておくことも必要かもしれません。
裁判所にしても、世の中から争いがなくなれば必要なくなりますから、適当なレベルの犯罪や揉め事までも駆逐してしまったら出番がなくなります。
そう考えると、世の中はおそらく太古の時代から今日まで、一定の均衡を保っているからこそそれぞれの商売が成り立っている訳で、均衡が保たれなくなった途端にその存在は消え去ってしまう運命にあるのです。
ですから世の中のニュースを見る時は、適当な程度で頻度の問題で均衡が取れていと思えるときは、「世の中は適当に平和だな」と思えばよいのでしょう。
よく中庸が程よい加減だと言いますが、善と悪もバランスが取れていれば目くじらを立てる必要もないのかも知れません。
善玉菌と悪玉菌のように!