確定申告書作成コーナー

まだ少し早いですが、源泉徴収票がそろそろ集まってきている方も多いのではないでしょうか?

別の集める気がなくても、勝手に郵送されたり勤務先から送られてきますから、これは何かしないといけないのではないかと思ってしまいます。

税金というものは、おそらく江戸時代、あるいは平安時代あたりから、すなわち国家に政府らしきものが存在し始めた頃から、とにかく取れるものはむしり取るという姿勢が一貫して継続しております。

それはそうでしょう。そもそも政府は生産性がゼロですから、何らかのエネルギー供給がなければすぐに息絶えてしまいます。寄生虫が宿主から栄養を収奪するのと同じです。

ですから、しれっと何事もないかごとく通知されるものの中には、その税金少しでも軽減できるものが含まれている訳ですが、表立って税金が安くなる可能性があるとは書かれておりません。

では届いた源泉徴収票の類の注意書きを、それこそ注意深く読み通すと、確定申告によって税金を確定することができますみたいな事が書かれております。

つまり、ほっておくと適正以上に税金が搾取されたままになる可能性があるということです。

国税庁も国民から搾取していると思われたくないと見えて、インターネットが普及し始めた頃から「確定申告書作成コーナー」なるページを用意して、確定申告をして適正に(ときに還付があり、または追徴があり)所得税を収めましょうという活動をされておられます。

さて私事ですが、令和4年は転職したり、年金の受給が始まったり、ふるさと納税をしたりと、税金に関しては普段以上に複雑になってしまったので、このときだけは国税庁のサイトにありがたくお世話になったのですが、少しコメントを。

この時代、パソコンよりスマートホンが利用者が多そうなものですが、まだスマートホンのサポートが十分ではありません。

もちろんスマートホンの小さな画面で細かい数値の表示が難しいのは分かりますが、それならそれでまったくスマートホン用の画面を用意したら良いのですから、パソコン用画面の表示で済ませるのが許されるとは思えません。

まだまだツッコミどころはありますが、計算機能と税務署への申請方法についてはバリエーションも用意されていて、完璧と言うにはまだまだですが70%ぐらいの完成度と言えましょう。

昔の仕様のe-taxが足枷になっていて中途半端感が残っていますが、年ごとにまともなシステムになっていることは認めます。しかし、改善に時間がかかり過ぎなのは、日本のシステムの常でしょうか。

通常の確定申告の申請は2月16日からですから、まだまだ余裕があると思っている方も多いと思いますが、源泉徴収票やふるさと納税の通知書が届いた時点で確定申告書を用意しておくと、安心感があって良いのではないでしょうか?(でも安心してしまって送付を忘れたら元も子もないか!)

都会の遭難

時々、遊園地の絶叫系の乗り物、例えばジェットコースターが途中で止まってしまい、数時間放置された挙げ句、恐ろしい非常階段で避難したり、ロープに吊るされて救助されるというニュースがあります。

もともと危険そうな乗り物に恐怖を味わうために乗っているのですから、多少のリスクは覚悟できているとは言うものの、予想外の本当の恐怖を経験したら、絶叫系には二度と乗らないと思う人もいるかも知れません。

先日、JR西日本の京都駅周辺で、予想を上回る降雪によってポイントが切り替わらなくなり、多数の電車が線路上に停車して数時間放置されるといいう事件がありました。

雪山で吹雪に遭って遭難するのは容易に想像できますが、都会で電車に乗っていて雪で遭難するとは誰も思わなかったでしょう。

都会の地上を走っている電車が、これほどまでに危険なものとは想像していませんでした。

確かに、電車に乗っていて長い鉄橋を渡っているとき、ここで急に止まったらどうなるだろうと考えることがあります。

ジェットコースターのコースのてっぺん程ではないにしても、かなりの危険を伴う場所を電車は普段平気で通っていた事に気づきます。

雪で車が立ち往生した道路でもほぼ遭難状態ですから、状況によっては如何にして自分の命を守ることができるかを考える必要があるでしょう。

今回のJRの場合、気象予想、ポイント修理にかかる時間の見積もり、停めた電車から避難する難易度とかかる時間の予測、多様な現場の状況等、複雑な悪条件が重なって適切な判断ができなかったことは確かでしょう。

実際、車両から一人ひとり降車して電車一編成の乗客が降りるだけでも4時間かかったということですから、雪でポイントが故障した時点で、どのような判断に至っても遭難を避けることはできなかったのでしょう。

近隣の私鉄は、ポイントの融雪装置を稼働していたそうですから、そこが今回の一番の問題であることには疑う余地がありません。

10年に一度の寒波なのですから、「ここで使わなければいつ使う」と融雪装置を動かしておけばよかったとは後からなら言えますが、これまでの経験的に決めたルールに従った結果、予想外の降雪があって過去の経験が仇になったということでしょうか。

今回のことで経験値が上がったことを期待したいです。

ところで通常の鉄道なら、降りたら多少歩き難いにせよ地面ですからまだ良いのですが、モノレールに乗っていて急に止まったらどうなるのかと考えることがあります。

地上からかなりの高さになっているところがあり、ダスターシュートのような装置が設置されていたり、隣に別の車両を移動させて接近したドアの間に板を渡して救助するということですが、今回のJRのように何らかの事態で一斉に車両が停まったときに、そのような悠長な方法で救助ができるのでしょうか?

まあ大きな地震が発生しても、停電さえなければ最寄りの駅までの短い距離だったら、レールの安全確認をしなくても動かしても良いんじゃねぇ、ってか?

お賽銭と賄賂

この辺りの話ってあまり真剣に語ることが少ないのですね。そこであえて一説。

「苦しい時の神頼み」と申しますが、初詣も含めて成就するかしないかの願い事を、謙虚に神様にお願いすることで幸運に導いていただこうとするのが、日本人の心であります。

もちろん箸にも棒にもかからないような高望みをしても神様はお見通しですから、望みを叶えていただくことはできません。

それなりに努力をして、どっちに転んでもおかしくないぐらい微妙なところで、神様にちょっと背中を押す程度に力添えをして頂く事ができるということなのでしょう。

神様のご加護は大変ありがたいものでありますから、それなりのお礼をしなければなりません。ですから、新年お初詣の際にはお賽銭を、そして願いが運良く叶った折にはお礼参りをしなければならないのはご承知のとおりです。

さて、現実の世界を見渡しますと、コネや賄賂といった犯罪が引きも切らずに蔓延っております。

特にニュースになるのは大物の大金を積んだ案件ばかりですから、世間の批判も強うございますが、日常的には学校や医者の先生へのお歳暮やお中元、会社や政治家の袖の下や賄賂がまかり通っております。

で、お賽銭と賄賂は性格としてはほぼ同じものと思われ、叶うか叶わないか瀬戸際の願いを叶えるための最後の願掛けであるわけです。ここが重要なのですがどちらもお金が絡みます。

片や願いを叶えることが神がかり的な神様と、願いを叶えることが権力越しの権力者とどちらが悪者なのか?

権力によって叶えさせてあげられる権力者は、もらったお金に見合う対価を与えることができますが、神様は実は知らぬ存ぜん、お賽銭に見合う働きが科学的に証明されたことはありません。

望みを叶うために賄賂を渡す者とお賽銭を渡す者は、やっていることはほぼ同じでしょう。

しかし、受け取った者は、望みを叶える権力を持ったものが罰せられ、知らぬ存ぜんの神様は罰せられない。

お金を受け取って何もしない(と思われる)神様が善で、賄賂に見合った権力を振るった権力者が悪。

じっくり考えると、私たちのやっていることは理解しがたい。

これからのEV専用車

トヨタが、躍進凄まじいテスラの車両を分析して、電気自動車(EV)はやはり既存の車の作り変えではなく、専用の車体を一から作り直さなければ太刀打ちできないと判断したそうです。

テスラも最初の頃は、金持ちの道楽に過ぎないスポーツカーのイメージがあって、量産車を開発するメーカーには見えなかったのですが、テスラ3ぐらいから価格に見合うだけの圧倒的なパフォーマンスを示し、車としての性能も実用に即したものになってきて、世間のテスラを見る目も変わってきたように思います。

おそらく、その頃からベンツやその他の自動車会社から引き抜いたエンジニアが設計に加わったのでしょう。車の基本性能を高めるための設計を忠実に行なった結果、これまでのどのエンジン車やハイブリッド車では叶わない性能を持つ高性能車になったようです。

どうしてもこれまでの自動車メーカーがEVを作る場合、社内の常識や既存の設計や部品の流用によってコストを下げようとします。

しかし、そんな中途半端なコスト削減より、一からやり直したほうがもっと大きな削減が可能で、過去のしがらみがなく性能を追求することができると判断したのでしょう。

ハイブリッドは、トヨタが特許を開示したこともあってか、海外メーカーでも盛んに採用されてきましたが、一方でEVに特化したモデルの開発も進んでおり、これから普及機を迎えるEVで覇権を取るにはこれから数年が勝負どころとなりそうです。

テスラは、性能を重視した設計でスポーツカーのような車を揃えていて、それなりの価格でも性能が良ければ買いたいという購買層に絞った販売戦略のようです。

しかし、世界中の人がすべて高性能車を欲しいわけではなく、安全性、低価格、高寿命など車に期待する性能は様々です。

過去にも日本車は、低燃費や耐久性で世界をリードしてきましたから、日本のメーカーが培ってきたこれらの設計技術は、EVになっても十分に活かすことができるでしょう。

また、最近の車は各種電子機器によって、駆動系がコントロールされて、エンターテインメントも含めてかつて日本が得意だった分野の技術が、これまで以上に詰め込まれています。

今こそ、日本の自動車メーカーや電機メーカー、精密機械メーカーなど世界一流の技術を持ち寄って、テスラを超える、あるいはテスラと並ぶ別の価値観を持ったEVを創出してもらいたいものです。

理系学部を増やす意味

文科省が、大学の文系学部を理系に再編するための支援基金を準備して、支援する大学(基金に群がる大学)を募集しているとのニュースです。

どうも海外に比べて日本の大学出身者に、理系卒の割合が少ないのを是正するのが目的らしいです。

アメリカやドイツなどが40%を超える割合で理系出身者がいるのに比べて、日本は35%しかいないとか。

それはそうですよね、日本の大学を見渡せば伝統ある大学でも理系の学部は2~3割程度ですし、新設の大学ではもっと文系学部が多いです。

そもそも理系の学部には金がかかりますが、文系は教室と適当な先生を探してくれば済んでしまいます。博士の教授も少ないですし、手っ取り早く大学を増やした結果文系中心の大学ばかりになって当然です。

そこで誰もが予想するのは、経営学部→経営工学部、文学部→人文科学部、商学部→経営工学部のように取って付けたような名前が増えて、中身はまったく文系色。

その結果、日本の理系出身者(もどき)が40%を超えて、海外に引けを取らない理系大国になりましたと胸を張るつもりでしょう。

人文科学はほとんど芸術(アート)ですから、本来の文系と言ってもいいでしょうが、経済や経営は数学なくては語れません。その入試に数学が課せられない時点で、単なる営業マン養成学校に成り下がるのです。

ゆとり教育が盛んに叫ばれていた頃、地方の国立大学には小学校で習う掛け算の九九がまともにできない文系学生が多いと、ニュースになった事がありました。

サイエンス無くして日本の未来はなし!

形だけの理系学部の乱発を招くだけの施策やバラマキは止めて、初等教育から手を付けるべきではないでしょうか?