年賀状の衰退

年末になり、そろそろ年賀状の用意をしなければならないと思い、まずは前回お送りした方々の住所録を整理しようとして困ったことに気づきました。

郵便局が数年来提供してきた「はがきデザインキット」が使えない!

ダウンロードしたパソコンアプリですから前回と同じように使えそうなものですが、ちゃんと時限爆弾が仕掛けられていて、今は既存の住所録をCSVファイルに書き出すことしかできなくなっています。

そういえば、年末の定番風景だった郵便局前の年賀状販売コーナーが最近見かけなくなったと思っていましたが、ついに郵便局も年賀状の拡販をあきらめたのでしょう。

「はがきデザインキット」の最新版も確かにリリースはされているようですが、宛名書き機能はなく、通信面のデザインを選択することしかできません。

デザインだけならはがきサイズに印刷できる方法さえあればよいわけで、面倒な宛名書きが自動的にできるところに年賀状アプリの存在価値があったのです。

以前は本屋の店頭に年賀状のデザイン集が積み上げられていましたが、そもそも最近は本屋にすら行ったことがないような気がします。

とりあえずキヤノンのサイトから気に入ったデザインをダウンロードしたところ、すんなり今年のデザインが決定して、一気に印刷したらあとは宛名書きを残すのみ。

ワープロなどで住所録から印刷する設定の手間と手書きの手間を天秤にかけると、おそらく手書きの方が楽そうです。枚数も減ってきていますから、今年は手書き宛名でいきましょう。

郵便局の年賀はがきのバリエーションも、以前のように薄い色付きとかがなくなり、切手面のデザインの違いとインクジェット紙かどうかの違いぐらいしかなくなりました。

ネットでは年賀状じまいのマナー的な記事が増えてきましたし、コロナ禍で日常の生活が変わってきているついでに、年賀状の習慣も数年後には廃れてしまうのかもしれません。

これもまた進歩と言うのでしょうか?

IoTって役に立つの?

昨日、とある有名な教授の講演を拝聴いたしました。

20年間に渡る研究の全体像の説明だったので、具体的な例がほとんど示されていなかったためでしょう、私のような門外漢はその研究の素晴らしさや、将来到達するであろう夢の部分を想像することはできませんでした。

IoTという概念が日常の会話の中に出てきたのは、提唱されてたか10年ほど経った2000年前後でしょうか? 

その頃は半導体関係の仕事をしていましたから、IoT社会を実現するためにはデバイスが進化しなければならないといった目先のことにとらわれていて、IoTが目指す社会の意義が何であるかや、それがどれほど素晴らしいのかを考えることもありませんでした

最近になって目指す方向性としてSociety 5.0が叫ばれてきましたが、如何にも政府お抱えの社会学者が後付で考え出した感があります。

また実際に世間を騒がして話題になっているのは健康保険証のマイナンバーカード化ですから、Society 5.0の正体はこれなのかとがっかりしてしまいます。

過去を振り返ってみれば、情報産業というのは例えば銀行オンラインや切符の予約システムなどから始まり、その後CAD/CAMなどの生産自動化が続きました。

21世紀になってインターネットによって飛躍的に身近な存在になりましたが、しかし依然流通や金融を自動化するためのツールでしか過ぎませんでした。

すなわち情報は産業として独立していたわけではなく、銀行、証券、流通、製造などの産業の補助的ツールとしての位置づけだったわけです。

「そろそろ情報も産業としてお金を稼ぐようにしなきゃあかん!」と誰かが言ったのでしょう、情報産業として単独で儲かることを考えた結果がSociety 5.0にような気がします。

つまり、誰も頼みもしないことをやる。よくある先走り、余計なお世話というやつです。

マイナンバーカードがその代表と言えるかもしれません。

必要性や利便性から出た発想ではなく、意味があるか必要化を度外視したところからひねり出して、後付で必要性を作り出すやり方です。

これまでそれがうまく行った試しがあるでしょうか?(あったかもしれません。)

話は元に戻りまして、教授の講演を聞いて何かしっくりこなかったのは、目的や意義が私には見いだせなかったからでしょう。

科学や商売の天才の話は、凡人には理解できないものです。(凡人は私!)

カラスはどれだけ賢いか?

都会にはカラスがたくさんいます。

ゴミをあさる技術は動物界で一番でしょう。カラシを練り込んだ網をかぶせたり、カラスに見えにくい色のビニール袋を使ったり、カラスと人間の知恵比べが続いています。

最近は人を恐れなくなってきて、ガードレールの上に止まったカラスと目が合うこともしばしば。そこで思うのは結構賢そうな顔をしているということです。

いかにも前頭葉が発達していそうなおでこの出っ張りもあります。下手をするとそこらの人間より賢く見える。

よくカラスは「5」ぐらいまでなら数えられると言われます。

私が住む地域では生ゴミの回収が週に2日あるのですが、カラスがその定期的な回収日の朝に特別に多いのかというとそうでもなさそうです。不規則な間隔で来るゴミの回収日を覚えているほどには賢くないのでしょうか?

ただ考えてみると、人間は数々の文明を利用して、例えば誰でもスマホを日常で使っていて、カラスにそんな真似はできないだろうと思いがちですが、本当にカラスはスマホを使えないのでしょうか?

人間の指で操作するように作られたままでは難しいかもしれませんが、くちばしや爪で操作できるものが置いてあれば、しばらくすると器用なカラスが一定の操作ができるようになる可能性はないでしょうか?

人がスマホを使っていると言っても、動作原理から理解しているわけでもなく、ただいつも同じキーを押しているだけ。

ゲームの画面を前にしたカラスが、キーを連打してそれに興じる姿を想像できなくはないと思います。

もし、動物が共通して知能を検査できる方法が開発されたとしたら、人間は本当にカラスに勝てるのでしょうか?

人間の文明は、過去の賢い人が考えたり着想した経験が文字を使って記録され、それを学んだ後世の人間がより高度なものに発展させてきたからこそ進歩したのであって、カラスは文字を使って過去の知恵を蓄積できないだけで、個のカラスの知能はそれほど人間と決定的な差がないかもしれない。

カラスに知能で負ける人間がいても不思議ではないように思います。

世の中からエンジン車がなくなるか?

最近になって各方面から、将来的にすべてのエンジン車がなくなることはないという見解が多く出るようになりました。

ヨーロッパの国々が流れに遅れまいとして、近い将来に国内で販売されるエンジン車を禁止する法律を制定し始めましたが、産業界から待ったがかかったということでしょうか。

CO2の排出量を規制して地球温暖化を抑制するところから始まり、石油資源を使うガソリン車やディーゼル車を規制しようとするのは、一見環境に良さそうに見えますが、実は環境負荷が意外に多いということが見えてきたからでしょう。

地球温暖化の原因に関しても、メタンガスの放出や牛のゲップまでが規制の対象になり始めていますから、技術的に困難で本当にCO2排出量を減らすことができるかはっきりしないエンジン車だけを、急いで禁止しても勇み足になる可能性があります。

EV化には追加の発電所の建設が必須であり、発電のために化石燃料を余計に燃やせばCO2の排出が増えますし、だからと言って「原子力に頼ります」とも言いにくい。

自動車ごとに小型核融合炉を搭載して発電しながら走るようになれば(アメリカで開発に成功したというニュースもありますが)話は別でしょうが、早急にEVにしたところで電池資源の問題や電力不足をどう補うかなど、自動車産業以外に負担が相当かかることを考慮しきれていない感があります。

またエンジン技術がない中国が、電気自動車で一気に世界の自動車産業をひっくり返そうとしているのも気になります。

日本の自動車産業としては、全面的にEVに行く可能性と、エンジン者がハイブリッドであっても残る可能性と、天秤にかけてどちらでも生き残れるようにしないといけません。

人類のシナリオとしては、核融合が21世紀には完成してエネルギー問題は解決するはずだったのですが、ひょっとしたらここ数年でそれが実現して、EVだエンジンだという議論が意味のないものになるかもしれません。(っていうか、それしか有効な解決方法がないような気がする。)

街を知るなら標語を見ろ!

新しい住処を探す時、よく知った地域なら問題はありませんが、その地位域にあまり馴染みがない場合、どんな街なのか気になりますね。

就職や転勤、就学などで新しい地域に行ったときに、最近なら賃貸を探すときの情報が満載されたサイトがたくさんありますから、まずそれらを参考にするのが確かです。

しかし、不動産業が出しているサイトではそれほど露骨に悪口を書くわけにも行きませんから、当たり障りのない表現に留まることが多々あります。

そんなときに一番嘘がなく重要な情報を手に入れる方法があります。

その街に行って標語を見るのです。

市役所などの壁一面に標語が垂れ下がっていることもありますし、陸橋や駅などの目に付きやすい場所に必ずその街の標語がかかっていたりします。

「交通安全の街」、「安全宣言の街」、「文化香る街」、「福祉の街」などなど。

これらの街はこの標語のようになりたいと標榜しているのですから、これらはまだ達成していないことになります。

交通安全を謳っているなら交通事故が多いのでしょうし、文化が香るのはまだ当分先かもしれません。福祉にも問題があって、保育園や老人福祉がいま一歩なのでしょう。

もちろん、本当に住めないほど危険な事があれば標語にする前に隠しますから、垂れ幕になっている時点で大した問題でないのでしょうが、なんとなくその街の課題を知る参考にしてみてはいかがでしょうか。