エスカレーターの片側空けは良いか悪いか?

近年、エスカレーターで急ぐ人のために片側を空ける風習が広まっていましたが、危険を伴うこともあるためエスカレーターでの駆け上がり/下がりを禁止しようというお話。

もともと人が2人大人しく並んでぶつからない程度の幅で設計されていると思われ、そこを急いで駆け上がったり、大きな荷物を持っていたりするとぶつかって倒れる危険性があります。

そもそもエスカレータの上で人が移動することが、設計上許容されているのかも疑問です。結構人が歩くとガタを感じるエスカレーターも多いですから、決して機械的にはよろしくないような気もします。

それと並行して、エスカレーターに似ている「動く歩道」の場合は歩くのが正しいのか、やはり止まっていた方が良いのかという疑問が湧いてきます。

動く歩道は別名Moving Walkとも言いますが、日本語でも英語でも「歩道」と言う限りは歩くのが基本ということでしょうか?

動く歩道を歩いているうちは、エスカレーターもそれに準じて駆け上がるのを阻止するのは難しいような気がします。

いっそのことエスカレーターも動く歩道も一切歩行などを禁止するか、どちらも移動OKにするか統一しないと曖昧になりそうです。

以前、イタリアで大勢がエスカレーター上で飛び跳ねて、エスカレーターの段が一気に崩れたことがありましたから、機械的な制約があればルール化することができるでしょう。

もうしばらくは悶着が続きそうです。

ニッチもサッチもいかない多様性

「ニッチもサッチもいかない多様性」 なんのこっちゃ?

要するに、世の中が多様化しすぎたために、それを維持するためのコストが高くなってきているのではないかということです。

多様性の時代と言ったのはもう何十年も前のこと。でも本当に現代は、多様性が広がりすぎて何がなんだか分からない世界になっています。

80年代に日本の規格のビデオが世界を席巻した時、メディアと呼ばれたビデオテープの規格はVHSやベータとして世界中で勢力を二分していました。

2つならアメリカの政党みたいに比較しやすいです。日本は政党が多すぎてどんぐりの背比べになりがちです。

とにかくメディア戦争と呼べるぐらい、日本発祥の工業規格が世界中でしのぎを削っていた時代があったのです。

その前にはカセットテープ、その後にはCDや光ディスク、DVDなど、メディアを牛耳った企業が世界を席巻する時代が続きました。

メディアとは今では記録媒体として理解されていますが、本来はもっと宗教的で本質的な意味を持っていました。

その前はカセットテープでしょうか? 昔は開発の速度がゆっくりしていましたから、10年20年単位で技術が入れ替わっていましたが、80年代ぐらいから加速度的に開発速度が速くなってきて、DVDが出てからはメディアを創出する価値が相対的に低くなってしまいました。

以前がニッチという言葉が頻繁に使われましたが、ニッチ狙いが度を過ぎまして、最近はニッチと言えるほど隙間がないぐらいに技術が広範囲に広がってしまい、新しい隙間を狙うのが困難になっています。

画像転送の技術や暗号化の技術など、少しずつ異なった優位性を持つ技術がひしめき合う時代になってしまいました。

プログラミング言語も次々と誕生し、様々な用途でそれぞれ特化した言語が普及していて、どの言語がメジャーなのか、初心者が今から学ぶなら何が良いかという質問に容易に応えられる状況ではなくなっています。

技術や社会が同じ方向に向かっていた時代が終わって、多様化が野放しになってしまっているのです。

これまでのように、何でもランキングで1位から10位まで並べるといった簡単な比較は意味がなくなって、用途、目的、趣味等によって多様なランキングが論じられるようになったということでしょう。

それはそれで単一化された価値観より、社会が進んだということなのかもしれませんが、単純に社会を一つの論点で論ずることに意味がなくなっています。

そろそろ多様化した社会の整理を考えなければならない時期が来ているのではないでしょうか?

JAFの要望書

日本自動車連盟(JAF)が政府に自動車の減税を要望したらしい。

自動車にかかっている税金はたくさんありすぎて、どの税が妥当でどの税がどのぐらい高すぎるのかを議論するだけで、気が遠くなる時間がかかりそうです。

50年も前のまだ自家用車が贅沢品だったころならば、贅沢のための税金ということで納得できたかもしれませんが、今の所得が増えないご時世で意味が分からない税金がてんこ盛りになっていては、何とかしてくれよという気持ちも仕方ありません。

しかも、ガソリン税にも消費税がかかっていたり、自動車税の使い道が間違っていたりしていては、これまで正しく自動車に課税されていなかったことは誰の目にも明白です。

まあぞの税金もそうですが、増税、増税という前に、増税が必要になる根拠を示さなければなりません。そんなことは、小遣いの値上げを要求するときでも当たり前!

で、その増税の根拠を示すためには、それまでの税金の使い方、つまりいくら使っていくら残ったか、足りないときはなぜ足りないかを示さなければならないのに、税金はもらった文は全て使い切って「もっとくれ!」では、旧統一教会と同じです。

自民党がばらまきも、なぜその金額なのか、なぜ切り詰めなければならないのかを説明しなければいけないと思います。

そもそも国民に説明できるほど、公明正大に説明出来る内容なのか?

老後の生活費問題で、まず家計簿をつけましょうというフィナンシャルプランナーが多いですが、国家財政についての家計簿を、国民に分かりやすく説明する義務を果たしてから、増税の議論をしましょう。(って誰に言っているのか?)

2人乗りベビーカーと路線バス

双子用のベビーカーで路線バスに乗ろうとして苦労しているというお話。

数年ごとに炎上する話題ですが、決定的な結論が出ないまま忘れ去られてしまいます。

いくつかの路線バスでベビーカー利用の案内を確認したところ、最近の低床設計のバスや広い搭乗口によって、乗車可能となっているところが多いようです。

共通した基本ルールは以下のようなものでした。

  • ベビーカーを利用しながらの乗降や、ベビーカーのベルトなどによる固定と乗車中の安全は、乗客の責任で行う。
  • 運転手はベビーカーの固定位置のバス座席を畳むことと、ベルトなどの固定器具の使用方法の案内は行う。

赤ちゃんが乗ったベビーカーを他人が扱うことは、安全上の責任が伴います。ましてや複雑な構造のベビーカーだと変に触るだけで事故につながります。保育士などの資格があれば可能かもしれませんが、それをバス運転手の業務とするのは無理があります。

乗り合わせた乗客が親切心で手伝うのはあってもいいですが、何かあったときの責任は当然負うことになります。例えばバスが急停車したときに、手伝った人が留めたベルトが外れて赤ちゃんが怪我をしたら責任は免れません。

つまり、ベビーカーを使用して赤ちゃんをバスに乗せるには、それなりの労力、おそらく赤ちゃん1人か2人なら、大人2~3人が付き添わなければ安全なバスの乗車は無理だということです。

これを社会のインフラとして準備するとしたら、介護保険のように育児保険みたいな制度を作って利用するしかないように思います。

周りに負担をかけても誰もが許してくれるほどには、まだ世間は豊かではないのかもしれません。

HTTPS対応サイト

最近HTTPS対応サイトが減っているように思うのですが、そんなことはないですよねぇ。

10年ほど前に、Google検索で上位に来るためにはHTTPSに対応していなければならないという情報があって、急いで証明書を取得したサイトが多かったのですが、最近はどうなのでしょうか?

FirefoxでHTTPS以外のサイトでエラーを表示するようにしていると、やたらとエラーになって「HTTPSでないから危険だけど、それでも見たい?」というニュアンスで選択肢が表れます。

特に情報を入力しない場合は、誰にでも見せられる情報を提供するだけなのでHTTPSである必要はありませんが、個人的には内容にかかわらずHTTPS対応して欲しいなと思うわけです。

サイトの情報を吟味して丁寧に作っていあるという証ではないですけれど、なんとなくHTTPでアクセスできることのいい加減さが嫌ということでしょうか。

今ほど情報セキュリティが叫ばれているときに、前代的なサイトの形態が残っていることが不思議です。合理的と言えばそれまでですが。

果たして、本当に重要な情報をやり取りするときだけ、HTTPS認証を取っているのでしょうか?