米バージニア州のウォルマートで銃乱射事件があったとのこと。
このような事件のあとは、アメリカの銃所有の是非が問われることが常ですが、日本でもナイフや包丁を振り回して死傷者を出す事件が茶飯事ですから、銃だけの問題ではありません。
先日、朝の通勤電車に乗っていると、隣りに座っている人がしきりにスマホを押しまくっていて、次第にスマホのガラスを叩き割るほどに過激化していました。
この人に包丁か拳銃を渡したら、少なからずの犠牲者が出るのは明らか。
特に危険な武器に関して銃刀法で規制できても、ナイフや包丁や金槌や金属バットまで規制するわけには参りません。
危険は常に隣り合わせと覚悟をして、電車に乗らなければならないご時世になったということでしょう。
これは今に限ったことではなく、公共の場所、例えば電車やバスやショッピングモールでは見知らぬ他人がすぐ隣にいるわけですから、その人がどんな心情で何を考えているか、どんな病気を持っているかまったく分かりません。
もちろん、服装や顔の表情で危険を察知することは、生きていく上で最低限必要なスキルですが、それでカバーできないほど現在は危険に満ちていると言えるでしょう。
人権保護の活動が活発化するに連れて、犠牲になる一般人が増えています。人権に寄って弱者の自由が認められることによって、一般人の生活が踏みにじられることを諦めなければならない事態が増えているように思います。
他人に犠牲を強いる人権は認められるべきでしょうか?
まだまだ社会が不完全だと思います。