マイナカードの抱き合わせ販売

マイナンバーカードと健康保険証の統合を、スケジュールを前倒しして実施するというニュースです。

健康保険証が合体する相手として最初に選ばれたのは、誰でも持っていて日常的に利用しているからでしょうか? しかし、その分インパクトは大きいわけで、それ故反対意見も多くなるのは当然です。

そもそも腫れ物に触る感じで登場したマイナンバーカードを、毎日携帯する必要があるものに仕立て上げる必要があるのでしょうか?

2枚を1枚に統合すると持ち歩くのに便利と言われても、免許証やキャッシュカード、交通系ICカードに各種ポイントカードが当分の間残りますし、ポイントカードがマイナカードに統合されるはずもないので、いつまで経っても枚数はさほど変化しないかもしれません。

これまで政府関係のシステム化がまともに行った試しがなく、本当に便利なシステムが出来るのか?

売れないテレビゲームを人気のゲームと抱き合わせて売るのと全く同じ図式です。迷惑以外の何者でもない。

マイナカードに健康保険証を統合することでしか価値を高められないマイナカードなら、そもそも必要ないのではないかと思います。

えっ、マイナカードの存在意義はそんなところじゃないって? それは一体、ナンデスカ?

自転車の交通ルール

インフォシークニュースに、思わず間違う自転車の交通ルールという記事がありました。

普段ロードバイクや電動アシスト自転車を乗っている身としては、交通法規は必ず守るのが大前提! しかし、ルールの中には「あれっ」と思うものが少なくありません。

例えば、

「歩道を走ってきた自転車が、信号付きの横断歩道の手前で停まって横断歩道を渡るときに、守るべき信号は歩行者用か自動車用か?」

の答えが「自動車用信号を見て横断歩道を渡る」というのですが、違和感ありませんか?

歩行者と自動車がまったく同時に変化する信号ならいいですが、歩行者の信号が先に青から赤に変わる横断歩道で、自動車の信号を守っているからOKだからと自転車が横断歩道をおっちらえっちら走っていると、歩行者が渡り終わっても自転車がいつまでも横断歩道の手前で動けない状況が続いてしまいます。

それより、歩行者の信号は横断歩道をめがけて付いてますから、それを無視して走る自転車が正しいと判断できる人は、歩行者にも運転者にもいないでしょう。結果激しくクラクションを鳴らされるのがオチです。

交差点の形状は様々なので、場所によっては問題ならないかもしれませんが、少し考えるとあり得ないルールです。

歩道を走行する自転車が歩行者扱いなのに、横断歩道を走行するときは急に車両扱いになる?

そもそも車道の右側を平気で走るママチャリでさえ撲滅できない日本の交通マナーの低さですから、ややこしい自転車の交通ルールを守れるはずもなく、警察も取り締まれるはずがありません。いつまで経っても危険なまま放置です。

実はもっと複雑なルールが目白押しで、路肩の種類分けや路肩走行についてのルールは、聞いたことがないものも多いし、聞いても1度や2度では全く理解できません。

もっと国際的な標準に合わせて直感的に理解できるルールに整理してもらいたいものです。(今の交通ルールでは自動運転の実現が無理だと思う。)

投資しないと老後貧乏?

最近、新聞などで投資についての記事(勧誘)がやたら目に付きます。

端を発したのが年金だけでは生活が行き詰まるので、老後を迎えるまでに2000万円貯金しましょうという報道、というか勧告ですね。

そんな事を急に言われても困るという人も多いでしょうが、別に自体が急に変わった訳ではありませんから、準備していた人にしてみれば当たり前のことなのか?

NISAやiDeCoといった言葉がまた却って意味を分からなくしていますが、要は真面目に貯金しても(あるいはどうせ真面目には貯金しないだろうから)、投資で老後のお金を作っておきましょうということです。

しかし、当然貯蓄より投資で楽に金が稼げるなら、貯蓄をする必要はないですし、もっと言えば働く必要もないでしょう。

そう、重要なことを隠しています。投資は「博打」なのです。

大儲けするときもあれば、大損をするときもある。

つまり、大損をしても困らないだけのお金を投資するなら問題はないが、すってんてんの可能性があるようなムチャはだめよということです。

そうすると、それほど大金を投資に回すのは危険ですからほどほどの投資になり、ほどほどの投資から得られる利潤は、これまたほどほどにならざるを得ない訳です。

つまり、今ある貯金を大きく超える大金を投資でつかむことは、まともな考えの人では無理で、結局長期間の地道な貯蓄が欠かせないということでしょう。

そのうち”Go To Fund”などといって、旅行と同じように証券会社や銀行の投資信託に申し込めば、クーポンが貰えるなんていう政府キャンペーンが始まりかねません。

高校の社会科の授業に投資の講義を追加するということですが、何をどう教えるのでしょうか?

証券会社のパンフレットが教科書になるのか?(良くてもそれに近いものにしかならない気がする。)

三権分立は駄目な会社と同じではないか

最近、裁判所の判決文で「現行の法制度において限界がある」というニュアンスを含んだものがあります。

現行法制度ではの判決はこれが限界で、法律を変えなければよりよい判決を目指すことはできないということです。

暗に裁判所が立法府の国会を避難しているように見えます。

小学校の社会で学んだ「三権分立」は、「司法、立法、行政の権限を分離することによって、健全な国家運営ができる」みたいな趣旨だったように思います。(最近はどのように教えているのか知りませんが。)

しかし、これは戦時中に軍部がすべてを掌握して暴走したことに対する反省であり、現在の社会でこれで機能するかどうか甚だ疑わしいと思います。

例えば、ある会社で設計、製造、営業がそれぞれ独立していて、お互いの業務に口出しできないとしたら、営業がお客様がどのような製品を必要としているかを設計に伝えられません。

また、製造が品質を向上して製造原価を下げるための設計変更を、設計に依頼することもできないでしょう。

俗にいう、部門間の風通しの悪い会社!

そのまんま、風通しの悪い行政府、立法府、司法府、にっぽん!

三権分立は、お互いを高めあって改善する提案まで制限していないはずです。

まあ、居眠り議員がまともな法律を作れるはずもなく、テレビ中継に値しない国会が立法府だというところに、日本の現在、そして将来がそのまま映されています。

まず役に立たない国会議員を選抜する必要があるでしょうね。選挙制度を変えるのが先か?

そもそも選挙は公平だとか、選挙は国民の義務だとかいうところが胡散臭くて、集票の小細工のためにいかに社会が曲げられてきているか?

集票組織としての宗教がはびこるのも、元は選挙制度の問題ではないでしょうか?

まあ、その選挙制度によって安泰な政党が選挙制度を変えるはずもありませんから、まずが国民がなんとかして選挙制度を変える方法を見つけるところから始めなくてはなりません。

どうやるか分かる人、挙手をお願いします。

景気が悪いならばらまけば良い?

今なら言える、景気が悪いときは「まあまあ」、「ぼちぼち」とは言わない。

円高、財政赤字、ばらまき、Go to Travel/Eat、、、

景気が悪い話の中に、景気が良いように見せかける対策が飛び跳ねる!

一般市民には景気が悪いのか、これから良くなるのか、もっと悪くなるのか、さっぱり分からない、分からせないような施策があり過ぎて、アクセルを踏むのかブレーキを踏むのか迷ってしまいます。

結局どちらも正解ではなくて、アクセルもブレーキも踏まずに惰性でできるだけ遠くまでゆっくり走るのが正解だと思いますが。

大体、アクセルかブレーキかどちらかを踏んでいなければならないと考えるのがおかしいのであって、惰性で走ることをもっと覚えたら、もっとエコや温暖化を吠えなくても良くなるのではないでしょうか?

大体、今に始まったことではありませんが、「ばらまき」の財源はどこにあるのでしょうか?

根拠のない増税や財源のないばらまきは、原因と結果の一方を完全に忘れ去っていて、それを知らずに群がっていていいはずがありません。

個人の老後の心配も必要ですが、日本の老後の心配もしなければならない時期が来ていると思います。