三権分立は駄目な会社と同じではないか

最近、裁判所の判決文で「現行の法制度において限界がある」というニュアンスを含んだものがあります。

現行法制度ではの判決はこれが限界で、法律を変えなければよりよい判決を目指すことはできないということです。

暗に裁判所が立法府の国会を避難しているように見えます。

小学校の社会で学んだ「三権分立」は、「司法、立法、行政の権限を分離することによって、健全な国家運営ができる」みたいな趣旨だったように思います。(最近はどのように教えているのか知りませんが。)

しかし、これは戦時中に軍部がすべてを掌握して暴走したことに対する反省であり、現在の社会でこれで機能するかどうか甚だ疑わしいと思います。

例えば、ある会社で設計、製造、営業がそれぞれ独立していて、お互いの業務に口出しできないとしたら、営業がお客様がどのような製品を必要としているかを設計に伝えられません。

また、製造が品質を向上して製造原価を下げるための設計変更を、設計に依頼することもできないでしょう。

俗にいう、部門間の風通しの悪い会社!

そのまんま、風通しの悪い行政府、立法府、司法府、にっぽん!

三権分立は、お互いを高めあって改善する提案まで制限していないはずです。

まあ、居眠り議員がまともな法律を作れるはずもなく、テレビ中継に値しない国会が立法府だというところに、日本の現在、そして将来がそのまま映されています。

まず役に立たない国会議員を選抜する必要があるでしょうね。選挙制度を変えるのが先か?

そもそも選挙は公平だとか、選挙は国民の義務だとかいうところが胡散臭くて、集票の小細工のためにいかに社会が曲げられてきているか?

集票組織としての宗教がはびこるのも、元は選挙制度の問題ではないでしょうか?

まあ、その選挙制度によって安泰な政党が選挙制度を変えるはずもありませんから、まずが国民がなんとかして選挙制度を変える方法を見つけるところから始めなくてはなりません。

どうやるか分かる人、挙手をお願いします。