人間と自動運転のどちらが上手?

いろいろなところで自動運転の実用化のための試行が始まっています。

特に最近は外国人の運転が増えてきたり、日本人でも運転の技術に問題があるようなケースもあります。高齢化が取り沙汰されることも多いですが、どうも人間の運転能力が劣ってきているように感じることも多くなりました。

進化する自動運転技術と低下する人間の運転能力が、近いうちに入れ替わる可能性が高いですが、もうすでに自動運転より劣っている運転を披露している人間も、2割や3割ぐらいはいるのではないかと思っています。

自動運転が普及した場合、事故の責任を誰が負うのかといった問題がありますが、それらの自動運転に関する法律整備を、議論を深めて早急に方向性を出す必要があるでしょう。

マイカーを持つことは長い間富の象徴でありましたが、単なる移動手段の一つとして自家用車の所有や運転に対しての憧れといったものは、徐々に減ってきているように思います。

そうなってくると、安全性や費用の観点で人による運転と自動運転の優劣だけで、一旦自動運転が優位に立ったら一気に逆転するかもしれません。

まあ一気にと言っても2~3年で大きく変わるとは思えませんが、オートマチックがマニュアルミッションを駆逐したように、最近のタイパ・コスパ重視の風潮ならば10年ぐらい先には自動運転が大勢を占めている可能性もあるでしょう。

“Fun to Drive”を楽しむなら今のうちかもしれません。

マイナ保険証

2025年12月2日から本格的に切り替わったマイナ保険証。普及率の割に利用率が低いとのことです。

しかし、旧来の保険証が12月2日から使えなくなり、代替となる資格証もマイナ保険証を登録している人には配布されないので、まだに兵糧攻め!

現状40%程度の普及率は、マイナ保険証登録の割合程度には必然的にアップするでしょう。おらくすぐに70%程度にはなるbのではないでしょうか?

いかにも無理やりという感じがしますが、こうやって段々とマイナカードに情報を集約していくわけです。

マイナ保険証のメリットとして、これまでの医療や薬剤記録が参照しやすくなるなどと宣伝されていますが、医療記録は誰にでも公開するわけでもありませんから、便利だとしてもほんの一瞬で、それよりも個人情報の漏えいの方が心配です。

昔からマイナカードは、国民の財産の把握が目的だとされてきましたが、今となっては財産だろうが医療だろうが、すべての情報を一箇所にまとめてしまえば、後から利用方法を考えればよろしいと言わんばかりです。

一方、世間では詐欺事件が以前に増して活発化していて、軟なパスワードで守られたマイナカードの情報が狙われた暁には、1億人個人情報総ダダ漏れです。

マイナカードをバカにしている間は、大して狙われることもありませんでしたが、情報が集まれば集まるほど狙われやすくなるのは自明です。そうか、だからマイナカードの規格を刷新してセキュリティを強化しなければならないのか!

いずれにしても、旧態依然とした体制とシステム屋が繰り出す、無駄と策略まみれのマイナカードの終着点が未だに見えません。

そろそろ引け際を見つけなければならないと考えるのは、私だけでしょうか?

なにかおかしい?

すでにほとんど、おそらく90%の方は気づいていると思います。

「なにかおかしい?」と。

いわゆる一過性の喧嘩というのは、いつも急にやってきて知らない間に過ぎ去っていきます。

その影響はまさに一過性であって、思いださない限り何があったかを後からたどることはできません。

「しかし、今起こっていることはどうもそうではないらしい。」

これからずっと人類が怯えていかなければならない事態がついに起こってしまったことに、うっすら気づいている賢明人が90%いると思うわけです。

いやそれはいつの時代もおかしいことは、山ほど起こっていましたよ。

そもそもニュースに出るようなことは、おかしい、つまり「おもしろい」方のおかしいではなくて、「異常」の方のおかしいなことが多いわけで、いつの時代もニュースは溢れています。

おかしいことが多いのは相変わらずですが、テレビのニュースの時間は昔から決まっていて、新聞の紙面も限られています。

だけどおかしいことが同じ程度で起こっているとは限りません。

いつも同じ程度のおかしい事が起こっているように考えがちですが、本当にそうでしょうか?

勇気を持って正さなければならないおかしなことは、身の回りにありませんか?

AIで解決できない問題

これまで自動化できないと思われてきたホワイトカラーの仕事が、近い将来殆どがAIに取って代わられると言われ始めて、それと同時に黒字でありながら人員をカットする企業が増えてきました。

やっていることは米国の企業が近年やってきたことを、そっくりそのまま真似をしているように見えます。

企業全体では黒字であっても、人材が余った部門でカットして、必要な部署にそれに相応しいスキルを持った人材を中途採用で補うという、これまで企業がやってきた人材育成などとは程遠い安易な企業運営がまかり通っています。

そのようなことをしていては、USにの企業群が陥った企業不全になることは目に見えていますが、一旦株主の方を向いてしまった企業経営者には、自分が辞めるまでの目先の業績が重要です。

いっそ社長以下一切の企業経営者こそAIに置き換えた方が良いでしょう。

ところで、最近熊の町中への出現によって物騒な世の中になって来ましたが、AIが予測などはできても、直接熊の駆除を行うわけには行きません。

昔ながらのライフルや罠、はたまた吹き矢で麻酔をかけるなど、全く古典的な方法しか対応できないようです。

また熊スプレーもなかなか原始的で、しかも一番信頼できる成分が唐辛子のカプサイシンといいますから、行くら科学が進歩したと言っても、急激に増えた熊被害に対しては古典的な手法に頼らざるを得ないようです。

この状況が続くようであれば、何らかの科学的対策も考え出されるかもしれませんが、現状での最善策は熊スプレーを準備するぐらいしかありません。

以前から言われていた死んだふりも、本当に意味があるのか不明になっていますし、熊鈴が良いのか悪いのかさえ判りません。

暫くの間は、試行錯誤が続きそうです。

AIは知ったかぶり(3)知ったかぶりの理由

昔、同僚に知ったかぶりで有名な人がいました。

会社員をやっていると、年に何回かは会社の制度上の手続きで分からないことに直面することがあり、経験がありそうな周りの人に聞くことがありました。

そうした際にその知ったかぶりの同僚は、正しそうな答えを自信満々に言うものですから、特に急いでいるときはその答えに従って手続きをしてしまうのです。

ところが、正しそうな答えは間違っていることが多々ありますから、職場内で騒動に発展するわけです。

ある時、彼になぜ知ったかぶりして正しくない答えを言いふらすのか訪ねたことがありました。

すると彼いわく、社会人になった職場の先輩から、何を聞かれても「わかりません」だけは言うなと指導されたというのです。

彼の最初の職場が何の仕事だったかまでは覚えていませんが、わからないと安易に答えることを良しとせず、自分でできるだけ考えさせようという指導の一環だったのかもしれません。

しかし、そもそも彼が知ったかぶりだと分かっているのですから、聞いた答えを鵜呑みにした方も問題ですが、最近のAIのに対する評価に通ずるものがあるように思います。

これは天気予報にも似たようなことがあって、「明日の天気はわかりません」とは言いません。

ひどいときは、「明日は晴れのち曇り、ところによっては雨か雷雨があるでしょう」などと言われたときには、天気予報は無力です。

最近は予報の確度も同時に表示することもありますから、当たらなかったときも仕方がないと諦めやすいです。

しかし、天気なら晴れと曇りと雨ぐらいしかありませんが、AIに相談する時の回答は広範囲に及ぶでしょうから、全部の可能性を羅列するわけにも行きません。

AIに質問するときは知ったかぶりと会話していると、腹をくくることが必要なのでしょう。